LA SCIENZA    DEI    MAGI   魔術師の科学


対話編






Giuliano Kremmerz vs. uno scienziato   ジュリアーノ・クレンメルツ 対 科学者



ご自由にお持ちかえりください。
















































イスラムの詩人 Rumi ルーミーの詩
あなたは 大海の中のひとしずくではない 一滴の中の完全無欠の海なのだ
そこ あなたの心にはキャンドルがある 炎をともす準備はできた
そこはまっさらな あなたの魂 満たされる準備はできている
君はそれを感じてる そうだろう?
決して希望は失うな わが心も 奇跡もその見えぬものの中に住んでいる
もしも世界の全てがあなたの前に立ちはだかっても あなたの目を その友に注ぎ続けよ
Do not stand at my grave and weep (Mary Frye 作とされるオリジナル)
Do not stand at my grave and weep, 立ちすくみ 私のお墓の前で泣くのはやめて
I am not there, I do not sleep. そこに私はいないし 眠ってなんかない
I am in a thousand winds that blow, 数えきれない風となって吹いている
I am the softly falling snow. 雪になって 静かに降っている
I am the gentle showers of rain, 私は 優しい雨
I am the fields of ripening grain. 私は 弾けんばかりの実りの里
I am in the morning hush, 朝の静けさの中にもいる
I am in the graceful rush 不意に現れる美しい鳥たち
Of beautiful birds in circling flight, その飛び回る姿の中にも私はいるよ
I am the starshine of the night. 私は 夜空の星のまたたき
I am in the flowers that bloom, 私は 咲き誇る花
I am in a quiet room. 私は あなたを取り巻く静けさ
I am in the birds that sing, 私は 賛美を歌う鳥
I am in each lovely thing. 私は あなたの愛するものの中にいるよ
Do not stand at my grave and cry, だから 私のお墓の前で泣き続けないで
I am not there. I do not die. そこにはいないし 死んでなんかない
いのちの歌 竹内まりや
いのちの歌 https://www.uta-net.com/movie/124705/


対話 その4/9


--- 対話の要約 ---

自分自身を裸にする --- 良心(自覚) --- 我思う、ゆえに我あり --- サトゥルヌスの実体 --- 月の実体 --- メルクリウスの実体 --- 太陽の実体 --- ラテン語のコルプスはどう理解されたか --- 能力統合の始まり --- 治療的自己着想は磁化 --- 意志 --- 欲望と希望 --- 世界は女性が支配している --- 月的身体と幻想 --- 男性に必要な幻想 --- イマジネーション能力 --- ヘルメス医療 --- 治療をもたらす意志 --- 要請者としての魔術師 --- アストラルに創造されたものは現実的行為となる --- 魔術的清純性と宗教的清純性 --- メルクリウスの杖 --- エロスとプシュケー --- 世界は神話である --- 神話には秘密の都の知恵がある --- 愛が奇跡を創造する --- 詩情は物事の本質の中にある --- 人は意志を持って望み愛する --- エロスは炎であり光 --- 未知の指導者 --- 地球の磁気力とは何か --- 人間との関係 --- 地球からの放射力 --- あがなうという発想 --- 人の可能性 --- アトランティス島の大災害 --- 知は科学であり自覚 --- 地球の魂 --- 世界の起源 --- 人体における地球磁気の働き --- ただひとつの奇跡 --- 大宇宙と小宇宙 --- 魂と肉体は不可分で地球生命の一部 --- 意志力の連鎖 --- 効果的な向き --- 感化を与えることが暗示である --- サトゥルヌスへと戻る

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科学者
この金曜日とこの太陽の時がすごく待ち遠しかったです…
この本当の自分というものは、自然界の本性そのものに行きつくということ、そこには単純性があります…。
それは、ひとりの人間の本性であり、それを深く考えるとはどういうことなのか、あなた方に聞いてはっきりさせたかったです…
ジュリアーノ
そこにはその言葉に対する新たな混乱が入り込んでいます:…
個人そして自分という言葉が、まずあなた方には何を意味するのでしょう?
そこにはあなた方が言う以上のものがあります:…
つまり私というものが、を、自我を、精神を、個性を裸にして、多くの言葉、多くの説明、多くの余談、多くの定義へと言及する…。
私達は、それらを理解することからはじめましょう…
この言葉は、私たち自身を哲学することにほとんど等しく、また特に、私達の自覚/良心として柔軟に織り込まれ、その意味するところの意志へと拡大され、それに結びつけられている…
私達を裸にするため、その本性を通して、これらの言葉を確認していきましょう…
それは私達の着想を明らかにする、あるいは明らかにしなければならないということ…。
それら私達の感覚的知識をシンプルな働きとして、そして微妙な異なった状態として見て行くことになります…
それはたったひとつの言葉:良心/自覚と言われているものを明らかにすることです。
私たち自身について語ることは、非常に多く、ひとつには、行為をどう評価し受け入れるか…
それに関しては、私達の外的あるいは内的な印象(感覚)があります。
私達二人は対話を通じ、アイデアを評価、そして実質的総合的手法でそれらを話し合い耳を傾け合って吟味しています…。 
デカルトの我想うゆえに我在りは、行為として行われた自覚意識の中に起源があり、それは、考えた結果だということ…、根源としての感じ/印象…
ということは、知的素養のある人は、そのような”印象”が心に浮かんでくる時、我想うのメカニズムと統合する唯一の基本、言い換えると、考える人として「感じるという言葉」に”それ”を置き換えて(使って)いるところがあります…。
それらが示すひとつの基本的意味は、つまりこれら感じるの基本要素には、身体と神経のある反応による影響を受けているのですが、これらは生々しい野性で、命への接触感を通じて反響し昇華され、それで、あなた方は抽象的な言葉を使うに至り、天から降る雨のようなイデアを、そして、野性的な歪みなき感覚の(本来感覚の)基本要素の”印象”を持つに至るということなのです。
つまり次のように言えます:私は考えるつまり、言葉として評価すると: 私はその感じる”印象”に所有されている、ゆえに私は存在している
それが生きる力/うきうきした感じやうれしさを生み出しているという結論:
私達は、そこに大いなるもの、小さなもの、学識的なもの、愚かなもの、教育的利益、不愉快なこと、主たるものと従たるものを感じている…
それは、私達”共有の自覚意識(良心)によるもの”で、つまりその評価を通じてのみ与えられる私達の行為や思考であり、実体化現実化の前にも後にも”存在するもの”なのです。
すなわち、良心/自覚/知覚/意識/コンシャスというものは、「私達」である…、理論的にも実際的にも…。
科学者
またヘーゲルは部分的に、そして、カントは別の部分を与えていて、現代的ベルグソンのようです…彼らは…
(*訳注* ヘーゲル、カント、ベルグソンら西欧哲学者たちは、人の理性や感覚また精神について考察した、ベルグソンは、創造的進化を説き、それを決定論的なものとしてではなく、創造的プロセスと考えた。)
ジュリアーノ
あなた方が言おうとしているそこのところは、私達が望むものであり、それは、哲学の話ではなく、哲学の最高到達点のいくつかの意見の比較研究であり、人間の誠実性と山積みされた知識、それが、含まれている…。
あなた方は、それをよくよく検討し、そんなイデアの理解を深めなければならない…
それは、感覚(器官)の働きと外的世界の印象を与えるものの中にあり、私達は等しく哲学者、知恵の友人であり、見守る者としての自覚や知覚の意識/良心として生まれた者だということ…。
もしも私達が、経験の良心/良識を持っていなかったなら、どこにその経験的科学があるのでしょうか?…
ですから、その私達の”私”自身というもの、その自我は、自分を取りまとめ肯定することでのみ内に存在する自覚意識であり、そして”存在”するものを受け入れることなのです。
科学者
ですからこれらの言葉で単純にあなた方が言いたいことは、言葉が与えるものとは異なり、たとえ一緒に取り込まれても、その意識/自覚の状態は、つまりその純粋でシンプルな自覚と統合されているわけではない…。
その自分自身というものは、奥深い人格、より感覚的なその人を構成している何かで、より本質的無意識的な良心としての個人であると言える…。
ジュリアーノ
それがヘルメス・トリスメギストスという存在、存在していた存在している存在することになるその”存在”というもの…
つまり、永遠の破壊できないものの原理、それぞれの命の内に肯定されるものです。
また、あなた方は人間というものの、また、人間に関する神秘科学の多くの方法を良く理解しているし、その見えないものを構成する未踏のものを何も分析する方法なく放って置くことはしていない…
それは死の瞬間に外に移動する要素、あるいは、日々のただ中に置かれているもの…
そして中核となるハシバミの木(*訳注* 知恵のシンボル)、保存され内包されている乾燥イチジクの実(種・生殖力)であることを示している…。
私達は、人々の様々な好みの宗教的精神である小さなこの固定観念(妄想)での会話をするのでなく、それを飛び越えて行かなければなりません。
私達が当たり前に理解しなければならないこと、それは人間が、血・肉・骨によって構成されていること、複雑で体液の機能によっても構成される組織体であり、そこに溶け込んでいる特殊な物質のサトゥルヌス的身体(*訳注* サトゥルヌス:死と再生能力・その自然界の力:統合と忘却に関係する肉体)つまり、目で見える物質的身体であるということ…、何かが、常に自身を新たにし続け、自身を消費し続けている…、そして、自身を産み出し続けているということ…
豊穣の農業神サトゥルヌスとして…
科学者
お願いですから、この対話でいつも割り込んでくるこのサトゥルヌスについてあまり話さないようにしてください。
ジュリアーノ
辛抱してください、それは本当に神でありイライラさせますが命と変容にとって必要なのです。 
少しずつそれは人体のサトゥルヌス体の中で醸成濃密化され、雲の様な基本的物質を構成し、それがサトゥルヌス神となっていく、蒸気や雲の塊のように知的に全ての神経網の中に沈殿し、そしてそれは感覚として捉えられ全ての印象や接触へのリアクションとなっていくのです。
つまり変化する月のような相を形成し、隠れたオーラのような一面の、月そのもののような雰囲気の、繊細な感覚を持った暗闇に光るオーラ/気配として浮かび上がって来る…、それは自覚を成すコルポを形成する変容性・変化する能力のまさにのようなコルポ/身体となるのです
(*訳注* コルポ:肉体という意味と物質という意味、また物質的集合体という意味もある―第1話のコルポ参照:
科学者
三日月に立つ聖母マリアは、キリスト教カトリックのシンボルですが…
ジュリアーノ
…もっと深い意味もあります!
それは清らかさです、純粋性・満々とたたえられた霊感としての意識、この地上的感情の激しい情的なものではなく、月の動きをそれは形作っている…、それは夜のスターなのです。
サトゥルヌスその神さまに象徴される重々しく暗いコルポのではなく、微妙な星雲のような月のコルポの、そのかすかな光、あてどなくさまよいはっきりしないぼんやりとした光、それは魔術師のアストラルの座、はっきりとはしないゾーン、イメージを形成しそこに留まりかげろうの様にゆがみ姿を変え見分けのつかない意識/印象となる、つまりそれは知性と知恵の象徴…。
これは移ろいやすく不安定で天を・そのぼんやりの海の隅々まで、また幻影のアストラルの闇を貫いている…
人はそれを荘厳で神聖な特徴を持つものとして感じている:…
それがメルクリウスメルクリウスのコルポであり意識/印象である人のまたこの世界の神聖なる光のそのセンターその界隈で生き生きとそれは寄り集まっている、永遠の存在であり創造され続け太陽のコルポへとつながっている…
言い換えれば神聖なる力の光り輝く星、永遠の光である…。
科学者
またあなた方は、神知学者やその他の人達のように人間を四つの部分に分けています:
サトゥルヌス的月的メルクリウス的太陽的な…
ジュリアーノ
ごちゃ混ぜにしないでください…
私は四つの部分ではなく、四つのコルポ/身体/物質群について言ったのです…(*訳注* 参照→対話2の4要素
その各々はもっと基本的な昇華物なのです、つまり、その他すべての父サトゥルヌスのものです…。
これこそ、全てが物質世界から来ているということなんです…。
私たちイタリアのヘルメス学派はあらゆる相や階層において高度な分析へと至っています、振動状態の物質としての光から変化変質する物質に至るまでの何かです、具体的には原子化された潜在的力の”可能性”のことです;物質は変化します、それは受動的状態に一致する何かで万物の実体としての知覚力の解放と言えます、それは強い光となり、それ自体が肉体化する言葉として創造されるからです、すなわちこれが現実化/現在化です。
ラテン語のコルプスには具体的で様々な意味があります:…
紀元前古代ローマの哲学者にして詩人のルクレティウスは言いました、物質の感じ/感覚や物質の要素はその実質、アトムである;…
また現チュニジアに生まれた2世紀の神学者テルトゥリアヌスは書いている、スピリタスは色んな種類のコルプスであり、自然界の粒子というコルポ/身体としてのスピリトであると…
―― つまり現代化学における有機的無機的な要素の肉体です…、それは水素や酸素で構成された肉体であり、窒素や水銀(*訳注* 水銀はメルクリウスと全く同じつづりで mercurio と記される、メルクリウス神は神話では神のメッセンジャー)のようでもある。
私たちの肉体は解剖学的に分断された様々な組織器官以上のものである、また一方でそれら様々な器官は自然界の要素から成る生体組織であり、それぞれの原子や分子また細胞のこれら特殊な物質群を含んでいる、それらの何かが大元のサトゥルヌスであり、また変化変容の状態、月的メルクリウス的な、光のヴァイブレーションの中で発展的に昇華し肉体に至る、まさに太陽的な何かである。
科学者
あなた方の言葉に従っても、私にはこの人間の区分けの4要素がどう判断されてるのかは分かりません、それで時に物質存在の状態というものであるとの結論付けで終わってしまいます。
そのあなた方の理解の中心となる昇華形成されその後私たちの物質身体となるものは、要するに私たちの血や肉です。
多くの意味がそこに持ち込まれていますが、生物物理学の講義としてそれらは全ての大学で教えられていることです。
ジュリアーノ
それはあなた方のおしゃべりごと…。
私たちにとってそれは読むために必要なアルファベットを学んでいるという事です。
人の肉体を構成している物質は、物質そのもの、その生理学的な何ものかによって構成されている、そしてそれは生理学という学び…、しかしそれは私たちの方法ではありません、化学として学ぶものではないのです。
私たちのサトゥルヌス的身体のそこは、生理学的・医学的・哲学的な機能の状態で満たされているものではない…。
私たちが考えているのは、そこに保存されている能力/活力、つまりそれは身体的強さ健康のことであり、私たちが両親/祖先たちから受け継いだその本質的遺産に共感し関係し、それをどれ程可能にするのかということです。
またそれは進歩発展へと向かいその感覚を推し進めること、物質的な重々しいものからそれを昇華させ、私たちはそのメルクリウスのコルポ/身体(物質的集合体)の指揮権を特定しようとしているのです…、時にそれは太陽的(注10)なものではなく、そこに取り込まれた骨格構造的な何かである…。
(注10 ヘルメス辞典より)
”太陽的”とは、インテリジェンスのこと、分子の宇宙的インテリジェンスであり、人の内部にそれは提供されている。
このインテリジェンスは、原理として神聖なものであり、最も高位の人間として構成されたもの…。
それは、人の源を成す原理であり、火の要素/最も神秘的なものである。
太陽的物質/太陽的身体は、光の振動の中に在って太陽的(*訳注*普遍知性)である。
これこそが錬金術師フィラレーテが表現している優れた訳の例…、もっとも小さな兄弟(メルクリウスや太陽的なもののエッセンスとなるコルポと彼は意味づけている)で、それが両親(祖先たち)にとつながってその指揮権として置かれている
これが統合であり、ここから様々な能力が始まる…。
支配し再構築し、その肉体を生まれ変わらせ、エネルギーを供給し続ける、それはそのカロリーや血を失うだけではなく、消費するもその命の原理を提供し続けながら、私たちはより高次の領域へと運ばれて行く…。
この崩れ去らんとする神さまに忍耐を持って支えんとするのが小さなメルクリウス(ヘルメス)であり、私たちを治療するシステムとして発生したものである、まさにヘルメティックと呼ぶにふさわしいもの…。
それは自分自身への治療的助言/暗示、また磁気的な治療を与える知恵/ヒントの優秀な大ぜいの兄弟たち、彼らはその時々に最強の癒しの力をその人の意志として前もって与えるのです、あたかもそれが私たちの為の代わりの理想的な考えでそこにあったかのように…。
そやつらは主張するのです:あなた達は治りたい、治る意志を持っている、そして治る ―― それで治りたいと思い込ませられ、治る意志の力も持つのです。
そしてあなた方か彼らやらが、気づいて私や皆に言うことには、この意志とは何ぞや?
落ち込まないで下さい、私はあなた方を愚か者扱いしているのではないのですから…。
私は、あなた方が知らないと言っているのではなく、それが何を望み、そして、その動作メカニズムが、不健全なものから新たなそして健全正常な細胞のものに変化し一般化するまで理解することはないと言っているのです。
コップの中の高価なせんじ薬を飲んだファウスト(注11)は、若返った…
彼はメフィストフェレス(悪魔)の薬0.5ミリグラムのまさにその意志を飲み冥界の知識を得た…
永い何度も何度も繰り返される昇華でファウスト博士その人は、神経を築き上げて、彼は準備されたのです…。
望むということは、全て悩みの種なのです。
だれもが、意志を持ち本当の利益を扱うその意志というものを知っていると思っています…
がしかし、親愛なる友よ、これは多くがシーザーやナポレオンを求めているのです…
ところが本当は、愚かなことに足りていないラットゥーガの乳を要求しているのかもしれないのです…
(*訳注* ラットゥーガは西洋葉野菜の類、日本語では乳草とも、白い分泌液を出すことからこの名がついている、ラットゥは乳のこと、ここではいまだ幼な子 (ちのみご) の私たち人類を育てるものの例えとして母乳にかけて表現していると思われる、またこの後の対話に関連する前触れか…)

(注11 ウィキペディアより)
〔日〕ヨハン・ゲオルク・ファウスト〔独〕Johann Georg Faust 〔羅〕 Johannes Faustus (1480年? - 1540年?)とは、16世紀のドイツ人の占星術師、錬金術師:ファウスト博士(独 Doktor Faustus)とも。
ヨハネス(ヨハン)・ファウスト(独::Johann Faust)として民衆本『実伝ファウスト博士』(独: Historia von D. Johann Fausten, 1585年)がベストセラーとなり有名になった。
文豪ゲーテの戯曲『ファウスト』のモデルでもある。

姓のファウストは、ラテン語のファウストゥス(faustus:幸福な、祝福されたの意)に由来する。

科学者
私はあなた方の悲観論を受け入れないわけではありません。
もし私が望むのならそれは、確かなこと・自由に体験でき実現できること・はっきり確認できる理想やイデア(考え)のことです。
ジュリアーノ
少しずつです、友よ。
人が言う時、私が望むことは、受動的共感で、気に入ってそうすること。
あなた方が患者に言うことは:その体が治るよう魂/心の底から望み気概を持って準備してください、そうすれば治ります…
それでは患者はあなた方を観察して不審に思う;こいつはいったい誰なんだ、まったく…、治したいと思ってないのか?
患者は誰も治りたいと思っている、苦しみに耐え忍びたいなどとは誰も思っていない。
にもかかわらずこれは感情表現の実際行為の信頼としては望みも希望もないということ ―― 両方とも多くの場合で見られることで、その人の命はがんじがらめにされ無用な苦しみに付きまとわれているということ。
その点女性は人間的本性として、抜けめがなくイソップの寓話に好まれる…、そんなことにはお構いなしでどんなことが在り得るかなどには無頓着、本能的直観的で希望を持ち続け、好きな様にこん棒で武装したヘラクレスを持ち出し、道化役に扮装しそんな広場をうろつき回る…
科学者
女性をあまり好きではないのですか?
心地よいものじゃないとか?
ジュリアーノ
女性の抜け目なさや繊細さ、その感覚を称賛しているのが分かりませんでしたか?
女性の方(上品なフランチェスコ会派の修道女など)は、お上品なオオカミさまです、その様なタイプのこと;…
それは女性のオオカミさまがみな抜け目ない野獣というわけではないってことですが、女性の多くは直観的だということ…、それは創造主の贈り物です、そしてそれはずるがしこい人には感嘆するほどの能力で、そんな感じで分け入ろうとするものには強い意志で立ち向かうのです。
同様に女性は男性に対し、社会生活で何を信じているかと言うと、同じ価値観で他人に接すること、それは幻想ですが女性が求めるものなんです。
それは全て要するに、親切・善良・美しいこと・感謝に満ちたもので、それは愛という言葉に完成される何かのことです…、それが女性の中にある、それを表現しようと奉仕する、ただただ無心でそうする、それによって世界というものは支配されているのです。
あなた方の見方はそうではなく私の中ではその価値に気づかずにするさげすみ:…
より進歩した社会になり、そんな人類がしがらみから解放されると、その野生の時からの理想は引き継がれる…、それは男であり、女性は異なり、彼女たちのその事実は人生の浮き沈みにおいてないがしろにされる、それは敵であるかのごとくに責められるものでなく、心が黙殺されるものでもないが心を占有する、つまりそれは生きる喜びでありそれに気づいていない…、自由の価値や意味であり人間の自覚意識/良心/目覚めである。
そんな自然な心をもった魔女、それが女性であり、一般的生活での共通の既成概念やおきてやらに一致しないものにだけ歯向かうのです。
キルケ(*訳注* ギリシア神話の魔女)は、直感的に現実の小さな欠陥を見つけ、そしてその感情の爆発を抑えられないのです…
それは、自然なひとつの流れの限界として存在し、それが現実であり彼女である…、形式でも法律でもなく構築された”骨組み”…。
科学者
はっきりしない言い方ですね…もうちょっと色んな説明を…。
ジュリアーノ
それはあなた方にもできることです…
もしも喜んでこの事を受け入れるなら、まさに女性が持ち合わせているそれについて、良く言おうが悪く言おうが、称賛しようがバカにしようが、それは創造されるもの全ての支配者であり、反乱やおどしと見せかける時でさえもそうである…。
可視的な世界で、つまり不完全な人間の外的世界で私達誰もがもつ月的身体は、このようであり女性的に働く部分がある…
全ての印象と全ての感受性が、そこ・心が宿る場所を打ち震わす…
それは、私達を刺激し悩ましかき乱し、服従させるのです;
それは、全ての情動を否応なく突き動かす…
小さな口実を通じ、私達という存在を揺り動かし、その現実からの方向転換を促し、澄み切った真実のヴィジョンへと向かわせるのです。
あなた方は、社会を生き抜く中で信じる程度に応じて何かを主張でき、またずるがしこい女にはがみがみも言えるが、断言する…
最初に浮気っぽい女と別れるとすぐに、あなた方はもう二度とそんな女たちを信じようとはしない…
そのような(こび)を売る女を見るやいなやバイクで逃げ去ってしまう、それは確かなことで、あなた方は最悪な状況を引き寄せてしまうだろう…
まあしかし、冷静になると最初のあしらいは、30分後さらに愚かなことに、女の為すがままに扱われている…
それは、あなた方が最も屈辱的状況に対面しているということであり、色恋沙汰での軽はずみな”軽信”…。
私達においてはそういうことなんです。
月的身体、当てにならないもの、そこで人は幻想を抱く ― 乙女はそこで魅了するのです…。
彼女たちのイメージには、銀や金のように見えるのです。
私達は信念と情熱を持って信じている、そして夜、その幻想の世界をさ迷う時、太陽の輝きとなって隅々まで行き渡る…
それは、貴金属のように見えた魚のウロコであった…。
私達はもうワナに落ちないようにしましょう…
しかし私たちがずっとそうできるかどうかはわからない…。
その幻想の領域で人々は、魅惑的なものに引き寄せられ、偽の感覚が作用する場所の犠牲者へと再び戻ってしまう…
それは、嘘っぱちな詩であり、私達の”赤ん坊”の様な魂の幼さ、容易に信じてしまう”軽信”というもの…
私達は、曲げられ、根拠なき空想の圧倒的力/私たちのイマジネーション複雑怪奇な歪みの前に、その奴隷となるのです…。
ここに原初的神秘由来の理由というものがあり、完璧な霊的知識が推し進められている…
理解を超えた私達の感覚・幻惑がある…
そしてそれは、私達の表層世界へとこのように現れる虚偽的世界なのです…。
人間の知力、それはメルクリウスの身体のよりクリアーに輝く分析的能力です、時にそれはその姿を現さない月にぼんやりかかる傘(光輪)の様にでしか確かめる事のできないもの…。
それは女性、永遠の若い女性、それは決して輝きを失うことがない、そこにあるものを魅惑し夢中にさせる。
その詩情と美しい姿の雰囲気は淡くつかの間の私たちの命を魅了し、もし心に幻想的イマジネーションのこの不思議な悦楽を感じる力がなかったなら、人はその力を得ることはなかっただろう。
一種の陶酔感、ワインやアルコ-ル、麻薬の様な…。
それは演劇、コメディ・悲劇でありフィクションです。
男は、いつもお人好しで「赤ん坊」、楽しいものを求めている…。
人は、出来事を目の前に、それが策略・夢想の発明・作り話であると知る…
しかしその瞬間の中に参画し、作り話であることを忘れ、それを望み忘れる…
その目の前の光景は、私達をだますために用意されたウソ…
それは、私達が代償/対価を支払った一つの王の椅子…、支払ったひとりの男とはその俳優…
もしも(ギリシャ神話スパルタの)メネラオス王役を演じてもスパルタの王ではない:…
多くはないがそれで感情を得て、拍手を浴び感動する…
そして、もしもその俳優が、厚紙のウソっぽい剣で(ギリシャ神話アキレスの殺害者)パーリデを貫いたなら、私達は叫ぶ:ブラボー!、と。
そしてその幻想が、その男にとって必要で生きる(かて)であったなら?
その知性、正確に計られ再発明された別物、それは意志を変化させイマジネーション的認識の感覚を”創造的”なものに変化させる…。
これこそ魔術の中にある創造者・イマジネーションで創造的制限/枠組み・”骨組み”、絵画的・装飾的な、最高に仕上げられた特殊な限定的造形品…
行為作用にある意志というもの、創造なのです…。
このヘルメティズムは、実践魔術の中にあり、これは大いなる技・アルス マグナ ―― ヘルメティストと魔術師とは、それを象徴する者、実はアーティストなのです。
このイマジネーション能力を生まれながらに持っている人は、ほとんどいない:…
その人たちは、歴史的に先行した人達…、その多くは、魔術の技で信用を失った…
どこか彼らにおいては、意志を成し遂げようとする完璧なまでのこの形式が示される…
つまり、ほとんどの場合彼らは、ヒステリックで神経症的印象の妄想に取りつかれ、この様に何も創造することなく、ただ耐えるだけだった…。
この事は、私が言った乳飲み子幼ない「赤ん坊」の件で明らかだと私には思えるんです…。
科学者
言っていることがはっきりしました:…
あなた方が信じているのは純粋な心、みんなが信じるもの、またそれはシンプルに理想であり、私に印象をもたらしていないがあなた方が認め呼応できる何か…。
わかりました…、私たちは物質的組成の身体を持ち、そこからそれは蒸気のよううに立ちのぼり、もっと淡い第二の内的物質体になる、そしてこれは更にもっと微妙で凝集した第三のコルポ、つまりよりシンプルで凝縮した何か、太陽が持っている内的な何か/火、宇宙生命の原理になる…。
こういうことですか?
というわけでそれは、知性、その記憶、意志という何か、古代哲学が言った三つの部分から成るスピリト、言い換えれば人のアニマ、それはそのヘルメス学派のメルクリウス体の徳/能力/美徳でしょうか…。
ジュリアーノ
知性と意志と言いました。
記憶は別の働きでもうちょっと弱い動きのもの、別の領域、別のカテゴリーです。
科学者
それを説明してください。
ジュリアーノ
どんなものかご説明しますか?
もうひとつ別の哲学的おしゃべりをしましょうか?…それで高等学校の先生の様にちっとはマシになるでしょう…
地図上のどこに来ているのかはっきりさせることにしましょうか:…
ここは(古代都市の)ポンペイ、エルコラーノ(*訳注* 火山埋没の古代都市)、そしてさらにはあのアクイレイア(古代遺跡)、言葉の花咲く(その)を何もせずぶらつくのがお仕事です…、それで私は、あなた方の頭を素晴らしいおしゃべりでいっぱいにできる…、当時の人々が何を獲得し何が残されたのかあれこれと議論する価値はあります。
私は、あなた方に私たちの考え方の初歩、どの様に、そしてどんな様式の違いがあるのか、を説明しています…
人間の捉え方…どのように統合されているのか、他の学派でも教えらる哲学全ての扱いについてです。
私達に示されるのは真実のみ、これはヘルメティズムに続く者が、自分自身でこれを達成する必要があるということ:…
低きから高きへと至ること、サトゥルヌスから月へ、つまりこのメルクリウス(*訳注* 真実のメッセンジャー役)のところへと良識をもって、自身に示せれること…。
そしてそれは、良識のひとつまみを忘れないようにすること…
それは味気ない命の食べ物に風味を与え、物事を味わう感覚を得るのに必要だということ、あるいはまた人間表現の限界、その偉大さを明らかにすること、と私は言っているのです…。
あなた方は、よくよく考えなければならないのです、そして忘れない様記憶すること、これは理屈に合わないことを普通の方法、大学の実験室での実験主義の様に試す…、つまり人間の隠れた能力の働きをチェックすることです…
このようにして全ての言葉の内にある馬鹿げた信じこみをチェックすることができるのです…
そしてここから確実なものが得られる…、これは、人間の内的世界の多重性と様々な性質です。
あなた方は、新たな言葉を見つめてきました…
ギリシャ起源の方法と意味不明の言葉について…
それは毎日、医学的、心理学的、精神医学的に形作られるものなのか?…
それでその一つ一つは、課題の観察事実を示そうとしている:
それが、医学、精神医学、神経病理学の観点、患者たちのその病的な、またそうでない現れ、人間自体をチェックすること…。
あなた方は、それを描き出すも何か理解できない言葉が言外に来ていて、それでその患者は、それぞれにその病的な感じや印象を創造しなければならなかったのかもしれない!
したがって、あなた方は手の中に、常に良識を持つべきです。
私はあなた方にもっとも最近の例をあげます。
思い出したことですが…、パリ国際超心理学協会 Institut Metapsishique International de Paris は最も有力な研究をしていて、人間の真価に関する研究シリーズ/ この新しい科学を公開しています…
しかし、超心理学(超越あるいは変移変容の精神科学)は始まったばかりで超心理の科学となるだろう…
つまりそれは、自然の例外的・超常的要素についてのものです…。
そのメタサイキック/超心理的(*訳注* メタには半という解釈と超という解釈があり、ここでは超の訳を与えた)なものは、メタグノーシア/超越的知覚や超越的霊感(超常的意識の何か)に分化する…
つまりそれはメテルジア超常的アクション);…
このメテルジアは、メタプシコラジア超常的知覚/精神の放射)に再分化する…
その何かは自発的で不意に無意識的に発現するもの・超越的心理現象、つまりテレパシー個体間の共通感情/遠隔感応)となり、精神の放射や発散、あるいは苦痛や情熱/感情として現れ、それに関心をよせる人へと向かい、臨終の時や非常な不安にさいなまれる時にも発現したりするのです…。
つまりそれは最も新しい言葉の世界…、その何かが、結果として生まれ続ける…
それらは、新しい超心理的言葉として不意に無意識的に生じるであろうもの:…
超エーテル、超生命/半生命、超運動的、超越光、エクトプラズマ(*訳注* 体外に出た生命の原形質)、テレプラズマ、超出現的、顕現、その他私には思いつかないもの…。
そして、これらはほんのわずかな例でしょう…
なぜなら私達は、まだその内的なまたどのような言葉を当てはめるかという点で混乱しているからです。
それで今は…?
科学者
あなた方との話し合いでの助言を、私は思い出すようにします。
ジュリアーノ
ヘルメス医療の回復改良手段としての”意志”という課題に戻って私は、言います…、魔術的ヘルメティズムのその何かは、全て内的意志強固な活動力が構成する人間のイマジネイティブな想像性柔軟性の豊かさの中にこそあります。
私は皆さんに何度も言って来ました:…
”よい”イメージを持ってください、と…
それで皆さんは創造的になるのです、それがあなた方の中の全能の”意志”というものです、と
あなた方も最近の経験全てを思い出せば、それは私が演じそして再び精神に想像して見せたある種の創造だと分かるのではないでしょうか?
私が提供して見せたそんな対象のどれも、つまりそれはよくよく見る様にと願ったものだったのです。
それから私は皆さんに言っています、目を閉じそれをご自分の中で再び創造してください、自然に…、その姿こそが見たもので、それぞれの人に独特なものなんです、と。
あなた方の誰もが始めに私に言っていたこと、そんなの、世の中で最もお安い御用、と…
しかしながら実際にあなた方が実体験したことは、そう単純で容易なことばかりではないんです…。
科学者
私は、何かを忍耐強く試してみることが必要だと気づきました…
それで再現性が得られる、と…
確かな写真の様に…。
ジュリアーノ
人体脳のどの器官がカメラのように最も完璧なのでしょうか?
映画館の素早い動きのその超完璧な映写機よりも、もっと速く能動的に変化するのか?
しかし…それではこれが見えても留まらない!
それは、すぐに消えてなくなり、弱まり、色あせ、無意識の中に姿を消す…
それが、忘れられた印象の記録保管場所、ここから融合された姿が再び呼び起こされる…
それらは見聞きされた物事の記憶の中に現れた姿です…。
今はあなた方のようにそれらは、ほとんどありません…
これらの有益性や必要性は、その経験へと圧縮されていきます…。
その良いイメージが定着すること、何度でも心に描くこと、私達人体の真っ暗なそのカメラ暗室の中に、この光景が再描写されること…、それがヘルメティックな操作をする人には必要なんです…
なぜならそれは、私達の意志という行為中に書かれねばならないアルファベットを構成すものだからです。
ユベオラテン語:命令する、命令。
その要請者たる魔術師…。
悪魔にさえ命令しそして形を支配する…、(賢者)ソロモン王の三重に封印された本を、そのヘルメティストは、あちこちと読み込み、そこに内的イメージを統合し、何かが可能になる…、投影し反射が戻るだけ…、感覚と現実を通じて…。
科学者
良識と共に…
ジュリアーノ
その通り、常に良識をもって。
科学者
それは見失わないようにします。
ジュリアーノ
良いイメージを抱くことは、創造的イデアの概念、あるいは、天界・幻影的アストラルの世界の中に現実改良のヴィジョンを創り出すことを必要とする…
つまりそれは、光なき内的フィールド・人類創造という捉えどころのないその子宮が存在するところ…
そこは、愚かな宗教が亡霊を作り出し、そしてあるいは、人間の芸術と科学が偉大なる例外を生み出すところ、あるいはまた、能力ある魔術師が正義と悪という限界に対面し、神聖さと悪魔的なものに臨むところ…。
それらのシンプルなイデアの中にあるスーパーマンでありたいと、あなた方は思っているのです…。
(哲学者)ニーチェの一般的でない考え方でではなく、至高のプライド ― それは感じられない程の何ものかへと到達するが、しかし、それは、古代ラテン的人間性における暗黙の了解の中の正義という理想/イデアが信じられたことで守られ、人類社会が到達したスピリトというものへと到った…。
それらは、全くのペテン師たち、でなければそれは、経験した人たち、また、敵対者に悪事をしてみた者たち…
彼らは、常に何かの自明の理から出発した…
それは、全てアストラル界幻想天界に創造されることは、行為によって現実化した、ということ…。
優れたそれらは、本当に起こったこととあなた方は考えている…なぜなら、現実となるから…
そして仮にも、彼らに真実として印象付けられたその夢が、予告的存在に代わり、その彼らに完璧な形として・アストラルに創造されていたのかどうか?…
その愛の祈祷/呪術やそれをする者たちは、ロウで作られた血の気のない彫像物を作った彼らは、こんな源流を持っている…。
その心的領域を針のように貫き、妖術をかける者は、その剣を取り彼の敵/その死者を生け贄にしようと企む…。
しかし、その様なことができる人間、距離を隔てて殺人をずっと思い描けるなどということができる人間はいったい誰なのか?
この不死鳥のごとくそのようなことができるアラブ人がどこにいるのか、また、そんな全能の魂を持つ悪党がいると言えるのか?…
ヘルメティズムは、そんな異常な道徳は持ち合わせてはいないし、そんな絶対善への道などない…
そんなものは、人類を甘やかすその(*訳注*人類の)不備へのこだわりです;
それが、精神と肉体の貧弱を含む群衆であり混沌の人間界なのです。
そうではなく、嫌悪・貪欲・色欲・虐待・横暴などそれぞれの不浄/病から浄化された魂を持ちその道を歩もうとしていた人たちが、その途上で気づいた何か…
それは、より高次元の純粋な展望であり、それら全ての世俗的不幸の元から完全に抜け出た者たちが、自らを律すること…
そこには想像力に富んだその表現/表れがあるのです
科学者
これこそがが、その清らかさ純粋性と言われるものですか?
ジュリアーノ
そう、魔術的ヘルメス的清純性で、宗教的清純性ではないもの…
宗教的には、注意深く検討されてはいません…。
私たちの清純性、総合的に受け入れられたものは、自覚された不変(普遍)意識の中立性であり、私たちが同類のものに配慮し尊重しているもの…。
それぞれの愛や嫌悪は、ヘルメス的なその関心事なのだが、結果においてそう望んかものだということ…、それには重要でないもの・無効なものがあり、期待されたものの残骸である。
これが、私があなた方に言った正しさの感じ…、その神聖さ、模範的な正しさです…
その奥底の不変の概念、その何かが、神聖であり、見事なまでに正しく公平…
この感覚は、我々という存在の公正公平なる最高権力者…
それは何の不足もないバランス感覚で私たちをぴったり評価する…
それが、比類なき創造者であり、私たちそれぞれの進歩を産み出し、私たちを再統合へと導く存在…。
そこには事あるごとにある種の障害が立ちはだかり、私達はよろめき病的な存在となるのです…。
これに関し、我々ヘルメティストは、切望された超人的な者達(魔法使い)として何度も出現しているのです…。
なぜ、そのヘルメス医術は、簡単に奇跡的な結果を得るのか…?
それは、助けようとしても病人達は嫌悪や憎しみで結果をすぐには出せない…、助け出す(あるいはその意志を持たせる)ことは、誰にでもできることではないからです;その作用の結果、対立してしまうのです。
科学者
ええー、あなた方の医療に戻りましょう:…
はっきり理解できるよう説明して欲しいのですが、このあなた方の医療体系は他の治療法すべてから選び抜いたものなのか…。
それから、私が確かに信じられないこととして、それが他の人々が理解しているその意志とは異なり、それにだけに頼っているということ。
またもっと信じられないこととして、その唯ひとつのメカニズムがこの良いイメージを持つという一事に限定され、それが意志による行為で同時に治療的行為であるということ…。
そのあなた方の推理は磁気治療家による改善法には一致しません:…
私は本当に素晴らしい治療で治った;…
あなた方にとってのこれは意志の作用とは思えません…
ジュリアーノ
それは、信じた結果のことです…。
病は、理屈に合わないと、私は言っているのです:…
私”は治った…、そのことは実際には、”私”が感じているのは調子が悪いということ;…
そう言いつつ”私”がしたことは、信じるということ…
言い換えれば、苦しまぎれ消極的に呼び出す治癒のイメージ…。
私”が理屈に合ってないと思っているということ…。
しかし私たちの治療法は、もっと複雑でもっとシンプル/哲学的…。
あなた方は、今までメルクリウスの杖/カドゥーチェオを見たことがありませんか?
それが示しているのは、全ての地で知られた治療の基軸となるもの…。
ふたつの翼がその杖の頭部に付いている”ヴィルガ/王位指揮権の象徴”…。
二匹のヘビがその先端から上頭部へと巻き付いている。
ローマ神話のユピテル(*訳注* ギリシア神話の最高神ゼウスにあたる/火の神)、それはサトゥルヌスのせがれ…
科学者
それは嫌な感じ!
ジュリアーノ
彼は、大地の女神レアーに魅了された…
何かが腹まれようとしていた、それは無毒の小さな蛇に変わった。
火の神ユピテルは蛇に変化した…。
メルクリウス(*訳注* ギリシア神話のヘルメスに相当)は、結婚における最良の仲立ち人…
その周囲には”ヴィルガ/王位指揮権”が、結びついた。
他の神々は、メルクリウスが怒った二匹のヘビを目にしたと思った:…
彼(メルクリウス)が、地面にその杖を投げると蛇たちは愛し合い抱き合った、…。
神々たちは、言った…、その司祭の杖はアポロン神からメルクリウスに与えられた、と…
我に返りメルクリウスは、謝りそれを取り自らを公平公正に改めた;そしてその杖は平和や和合のシンボルとなった。
それには、敵やライバル・対立する人たち・不仲の恋人との話し合いを続ける、という意味がある…
科学者
神話の治療的感覚は、私には分かりません。
ジュリアーノ
つまるところ、それは平和の象徴だった。
平和以上の愛するということ
あなた方は、いつも大文字で始まる様に、この言葉「愛 Amore」を書き、そして、それを口に出すだけでも、あなた方は敬意を表しているのです。
あるいはまた、あなた方は神聖なるものの前に身をかがめる…。
古代ギリシア詩人ヘシオドスは、この神エロスがカオス/混沌の前に存在していたと言った…。
エロス神、「愛」(を意味する)は、プシュケー(*訳注* エロスと結ばれるギリシア神話中の人間界の女性)と夜の闇の中で愛し合った…
そのうっとりするような何とも言えない人を魅惑し吸い込むような不思議な感情に長い時間を共に過ごした…。
プシュケーも興味から互いの姿を見ようとそのともし火をかざした時、エロスは(*訳注* 神である自分の姿を見られることは許されないので)逃げ去ったのだった
科学者
しかし、それは、あなた方の神話レッスンというものです。
サトゥルヌス、ジュピター(*訳注* ユピテル)とレアー、エロス、プシュケー、アポロ、メルクリウス…と。
ジュリアーノ
私は、宗教的熱情で、あなた方のすばらしい頭の中に、小さな通風孔を開けて、薄明かりのような微妙な光を提供する役に立つことはできない!
覚えているはずです…
あなた方は、ラテン民族・古代イタリア人・移民した古代ギリシア人であったこと、そしてそれは、私たちの神話という何か、輝きを失った聖なる神々…
それは、最も洗練された物語という織物であり、人間精神の作者、その哲学的要素なんです。
あのオルフェウス教(*訳注* 古代ギリシア密教)の始まりは、私には分かりませんが…
どれ程の部分が、このように奥深い意味を持っていたのか…、またピタゴラス派の人たちの資質が、あなた方の本質的要素や様々なあなた方の特色に影響を与えているのかどうかという事も…。
キリスト教カトリック派においては、その方向性は当初から違っていた…
それは落ちぶれたもので前ローマ的な俗っぽい宗教だった:
庶民感情からは、それは愚鈍で保守的・好戦的なものとなっていた…。
私たちが内に持つ要素としての女性、メルクリウス的身体を私たちは持っている…。
太陽的あるいはアポロ的なその原理にあって、つまりその月は変化の役目;…
メルクリウスには、理解できない程の高みへと昇華される何か、またサトゥルヌスには重々しい何か、それらが命には欠かせないものとして結びつけられ取り込まれた…
そこには、キューピッド伝説が隠されている…、彼は、自らをその母ヴィーナス(*訳注* 愛と美と性の女神)の為に犠牲にする…
彼らの心には生き生きとした、またぎこちないものがこの様に隠されている、それが語られようとしていたこと…
ヘシオドス(*訳注* 紀元前700年頃の古代ギリシアの叙事詩人)の言い分によれば、我というものは、最初カオス混沌であった…
愛が、この下、そして、その上に…
それは、全ての心理の謎を解くカギなのです
生と死のヴィジョン…。
それは、神聖なる矢を放つ者、それを描く画家たちは、幼児像としてそれを描くようになって行った…
それは、宇宙のすべての幼児(おさなご)としての最古のもの(聖なる放射体)。
その生命生理学は、大学では研究されてはいません…。
人間の感情を調べると、そこには、心の苦悩という原因、けんかや社会における様々な罪となる原因が…。
それは、神経が通わない無配慮/気づきがないということ…
それは、意識の欠けた未熟な少年のよう、それらが本来の中味、そして精神の変質すべての決定的原因となっている…。
鉱物・植物・バクテリア・動物種など全ての間にあって、この小さな神は、Amore「アモーレ:愛」と呼ばれ大文字のA「あー」と発音されるもの、様々な変化形の出発点・発生源/原因、そこには、全ての新しきもの、あるいは新しくされ続けてきたものがある。
科学者
すばらしい、その伝説!…
ジュリアーノ
よく言ってくれました、賢明です。
民話には語り継がれてきた全てがそこにある…、もっと言えば、語られそして目撃されてきた全てがそこにはあるのです…。
世界は神話である ――
つまり、世界というものはひとつの寓話・教訓的な作り話なのです…。
あなた方の内的にギリギリ耐え抜いてきた物事についてよく観察してみてください:
未熟な者として生まれ、母乳に吸いつく幼子、子供、思春期、力強い若者、成人、中年、老人、と年を重ね死というギャップを飛び越える…
あなた方は回帰し、再び始め、灰となり続ける…。
あなた方は伝説そのものそれ自身です…
そしてあなた方の存在の全ては、生き生きとした絵のような寓話なのです。
あなた方がこの浮き沈みの人生に慣れると、この地上から天に至るまでのものではないが、しかし地球表面の死者となったそこから、その物語はおかしくなる…
もしあなた方がそこにあった何か以前の記憶を持ち続けるなら、我慢したこと・楽しんだこと・つまりその感覚はあなた方にしみ込んだコミカル、そしてそれこそが、問うこと…、もしかすると聖なる領域への扉が、そこから先、もう確かではないのかも、と…、それが、ステンテレッロ(*訳注* 大衆仮面劇の役者)あるいはアルレッキーノ(*訳注* 即興喜劇の道化役者)の喜劇か…。
その作り話は素晴らしいが、しかしあなた方はその何かとここにあって、古代ギリシアのオルフェウス密教的なものと共に歩んで行こうが行くまいが、私たちの当初からの素晴らしきまた絵画的神話は、奥深いところでシンボル化された真実となり、その詩情・その芸術的表現の主題で満ち満ちている…、それは、私たち種族/神話に夢中になっている者たちが、生み出した最高傑作なのです。
その偉大なるラテン・古代イタリア的・西欧的なものには、純化された全ての隠れた「都」の英知があり、それは、永遠なる良識/分別の中心地、つまりは真実である…。
科学者
私にはそれをよく研究する必要がある…、でも、誰がその時間を与えてくれるのか?
ジュリアーノ
サトゥルヌス…。
科学者
そいつが来ないようにしてください…
この興味あるあなた方のイデアすべてをもうちょっと楽しみたい、親切に説明してくださいよ。
ジュリアーノ
サトゥルヌスについてはなるべく分かりやすく説明したんですよ…、砂時計で武装しあなた方が必要とする”時”を与える…。
学ぶという事は、本で不必要なものを身につけることではなく、比較観察しその価値を与えること、物事の象徴するものをしっかり見極め、現実の言葉使いに関連させその意味合いを導き出し理解する事です。
私は何も目新しいことは言っていません。
この太陽のもと何かが新たなものとして存在し得るということ…、そんな世界や文明が姿を消す”時”、私たちはその記憶を持ち合わせはしない…、それは意識/自覚であるはずもなく存在した何かでもないでしょう?
それを私は言ったんです、あなた方も同様:物事が姿を現す前のそこにあなた方は決してとどまらない、その様な有象無象をごちゃまぜなどにはしないのです…、そんな庶民が知ることは、命に映画放映の如くに何かを見い出すこと;純粋な感覚や印象としてのそれをあなた方は持ち合わせている、まずそのことを私は言いました…、これは先入観であり、またあなた方が見るそんな何事かを確実視し始めることなんですが、それは実際には存在しないものなんです
その様なものは物的ヴィジョンの中には存在しない、言い換えれば心動かされ影響される人たちの肉体、またスピリトやその何事かの意味の中に立ち現れて来るものではない…、まさにそこにしばしば現れ出るその何かに価値やそれまでなかった”感覚”が与えられるのです。
そしてもしもその隠れていた現われが、ふたつの魂の性的融合という行為の所有域であるなら、つまりそれは安らぎだろうか?
それがあなた方、分かりますか?
注意して下さい:…
ヘルメス的治癒においては、自己治癒や病根など全ては、避けられないもの、それは夢見の時や欲望様なもので、治癒的イメージかもしれない…、それらが医学の教えや理論全てを越えているなら、これはうまくやったのです。
それは治る意志であり、その知性を確かなものにし病を駆逐する…。
そこにあるのは内的結婚であり、輝く太陽自らは輝くことのない月とをとりもつ原理である;…
それはメルクリウスサトゥルヌスのせがれで神聖なる命(めい)(命令)を伝える存在…。
その治癒は訪れる、遅れる可能性はあるがやって来る。
大文字の(大いなる)Amore アモーレ 愛は、最古からの子供、その奇跡その再建/再組成を、先導した…。
ヘルメス医療について考えてみましょう、私たち以外の患者たちへの治療について…。
一治療者としては脆弱(ぜいじゃく)…。
その最初は、ヘビ男ユピテル;二番目には、ヘビ女レア…。
もしも愛が仲立ちをしなければ、ヘルメスは生まれず、またその働きもない…
その影響、お互い弱さのある異性的魅力の結合された神聖さをサトゥルヌスへともたらすこともない…。
ん?神聖さですか? そう、暗闇の中天空の中ひっそりとその神々は、そのユピテル(*訳注* 火の神/〔ギ神〕のゼウスにあたる)の頭脳(精神の働き)の中でヘビに姿を変えたのです。
あなた方の解釈に言い換えれば:…
もしもその患者と治療者の間に愛というものがなかったら、もしも治療者が彼の患者のその魂を(”清らかな”愛で)しっかりと抱きしめることがなかったなら、そして完全にひとつになり彼の太陽のような生命力がその苦悩の肉体に満ちあふれることがないなら、その小さな奇跡が起こることはない…。
そこには「愛」が必要なのです
科学者
私は、信頼だと言いたい。
ジュリアーノ
あなた方はシャルコー(*訳注* 1825-1893、フランスの解剖病理学・神経学の教授、後の精神分析心理学の祖とされる)の時代の本を何か読んだことがあるはずです!
彼は、精神の病理についてだけは、疑いを持っていた…。
それを直すものはアモーレ「愛」だ、と…。
その誰かは、良くなりたいを感じている…。
つまり、その人は愛され、お互いに引き付けられ、ひとつの磁石の様になる…、その愛情深さによって…。
その人のアニマ/魂は、ひとつの花、その何かが開花する…。
その人は、その愛のこだまを感じ、その熱情は燃え続け、信頼が生まれる…。
それは、医学的ヘルメス的な何か、スピリト何かに向かおうとする性質微妙な霊感イメージ、…
それは、病む人の”月的”なものコルポの中に抽出されるもの…
小さな奇跡が訪れる…、それは、たった一つの原因となるもの
科学者
たった一つの奇跡ですか?
ジュリアーノ
その奇跡は成し遂げられる、平和/安らぎの奇跡である…。
ヘルメスの杖(カドゥーチェオ)の周りに双方の二匹のヘビは結び合う…、メルクリウスは震えて言った:
Amore(アモーレ 愛)と安らぎ…。
おお、選ばれし魂たち!
あなた方は、本を読み研究し、その目で、物質的イリュージョンを通しその物質そのものを見ている…
あなた方が考えているのは、緩慢なヴィジョンの隠れた奇跡というもの:…
愛の放射のもと、力強く、情熱と信頼をもって受け入れられたその細胞で織り成され組織化されたもの…
それらは再構成されその結果、健全なものとなる…
そしてその命は、歩んでいくのです。
その頭脳はもう苦痛の進入を感じることはなく、微笑み・静寂・健全性が現れ続ける:
そのたったひとつの奇跡は、愛の奇跡として完成されるのです。
科学者
そこに詩的表現というものはないのですか?
ジュリアーノ
そこには詩情の全てがあります。
なぜなら詩情は物質の本性そのものの中にあるからです。
そこに自然科学者はひとりもいません、化学者も物理学者も天文学者もいません、どんな価値がそこに在るのか、つまりそれは本当の価値であり、まさに命の現象・創造と破壊の原子たち、それは形の変異・命の本質原理に関係するもの…、人は詩人になるのではなく、偉大な詩人なのです!
それぞれの詩情のその泉は、自然界の偉大なる本である:詩人・詩聖、この者は神意と触れあっている、最も古い神々と……
科学者
良識とともに…。
ジュリアーノ
…それらは生命、そして、生き生きとした物事、その盛衰というものを産み出すということ。
あなた方は、詩を語りますか? 
しかし、春の夕べ、かぐわしき花々と美しき蝶たちの間に織り成されるその美しき調べと歌、その詩情、花の受粉に繰り返し訪れるものにあなた方は立ち会ったことがありますか?
解剖学のレッスン…、その切り刻まれた亡骸(なきがら)、解剖室のその中、そこはぞっとする不浄の山…
そしてそれは、複雑な有機体の命不在の巨大な憂鬱、その詩であり、肉体の腐敗というもの…
その肉は、新たな命をもたらす…、そこには切り刻まれ分解腐敗した死体がある…。
それが、教義であり自明の理であるなどと、早合点して通り過ぎないようにしてください。
そこは、「愛」がある”今”というところ、同時にそれはすべてという叙事詩、無類の新たな存在状態である…
また、私たちの内なる感覚なのです…。
この見地から宇宙のいかなる原子も、調和的響きの壮大なる式典から、逃れはしない、それはまた、最も気高き神聖な賛美の歌、よりぬきの詩の言葉となり、存在の担い手として相互に浸透しあう連係の心の振動/感慨となる…。
そのヘルメス医療は、そこに繰り返されるのです…
それが、意志でありなのです。 
あなた方は、そうする以外ないのです。 
それらの要素を探す理解力に乏しい者でないよう、あなた方はしてください…
そして、決意すること、それらをひとつひとつの精密な治療改良手段として取りまとめること…
宦官(*訳注*かんがん/王宮に仕えた去勢男子)にひげを生やす処方をするように…。
意志をもち、そして、愛するのです。
これらは、ふたつの偉大な言葉であり、聖域を開くそのふたつの鍵なのです。
意志というものは、説明したような何かであり、つまり自身を理解すること…
科学者
つまり、説明していただいたように、よき想像をする必要があるということ…
ジュリアーノ
概念を抱くこと、イメージすること、その良きイデア/理想を取り入れ続けること、そして、それを真実の状態として感じること…
納得し、あなた方が考えたこととしてのその自覚の中にあるもの…。
それは、意志が働いたもの、その意志に関係する思考が言葉で表現されたもの、あるいは表現されなかったもの…。
意志というものは、良心を自覚しつつ形を与えられたイデアであり、命を与えられたイデアなのです。
イメージされたイデアと良心の間にある平安、行為における意志…
「愛」が訪れ、そして、豊かさを産み出す
科学者
ここにも一つまみの良識が必要…なぜなら、「愛」・私の神は、プラトンのそれにも、キリストの愛の心にもならないだろうから…
カサノヴァ(*訳注* 好色家)のそれでもドン・ファン(*訳注* 女たらし)でもないのでしょう…。
ジュリアーノ
愛は、愛です…。
ラテン語で「Amor 愛」は、逆から読んで「Roma ローマ」です。
感覚能力や印象・心的感性を定義することは、最もあいまいで分かりにくい謎を解き明かすことです。
塩と胡椒をその手にご準備ください(*訳注* :良識をもってご判断ください)。
ヘルメティストや魔術師にとっての「愛」の感覚は、一般の人々の誰も知らない何かである…。
多くが洗練された型のある選ばれたカテゴリーの人たちだけが直観的し見ることができる何ものかではないからで、あがない人としてのこの神エロスは人間という被造物全ての意識に対面している…。
どこにもいない善人として、これが彼の不確かな姿で、欲にそそられるお人好しではないし、また最たる愚か者の虚栄やうぬぼれを真似る必要があるというものでもなく、彼は臆病や卑怯の要は無益で何も為さない無関心な不精を叩き出した何ものかである
あなた方の誰が普通の日常の普通にある矛盾や対立から抜け出したいのか…、それは人が洗練され不確かな友・ことによると普通じゃない見捨てられた人を受け入れるような感覚の”スピリト”であろうか?
このエロス、ルシファー(*訳注* 明けの明星、魔王)のような、”それ”が炎であり光である。
それは心をかき乱すもの。
それは内的な夜の闇に悪魔の様に姿を現す…。
メフィストフェレス(*訳注* ファウスト伝説に登場する悪魔)か?
いや、サタンか?
そんなことはない。
多分誘惑する・準備する役目の”…”。
生々しくあなた方に影響を与えかき乱す”もの”か?
あなた方のその激しい不安や苦悩がそこに重圧を与える。
そんな人の言葉があなた方のプシュケ(*訳注* エロスの結婚相手・「人魂」の意)を転換させる…。
それに誘われ魅惑され、疑惑の四夜、そしてそのドラマの天空へのあこがれは受け入れられる。
それは狂気へとかき乱す深淵への断崖絶壁、つまりそれは活発な精神領域の創造へと至るための道のりである。
そんな不死性の間にあって、人は真実や現実での己の不利を告白せざるを得ない…、そしてそれは恐怖や不安でありそこに身を置くこと。
あなた方はそこに対置させられる…、言い換えればそれは宗教的信仰・あるいは不信仰、ぞっとする程の怪物であり原始の感情その様なものの分離だろうか…
科学者
私は建設的に歩みを進めて行きたいのですが、あちこちであなた方は、うなぎの様になる…。
私が思い出すのは、あなた方が言っていたこの特別なエロスについてで、それは、リリシズム(*訳注* 詩的情緒、情感や印象)の一ページであると繰り返し知ることになる…
なぜならこの霧のような、また、ぼんやりした雲のようなエロス、私はそれを特定できていないからです…
ジュリアーノ
それがあなた方のところに来た時あなた方は、笑ってやり過ごしてしまったようです…。
それには懐疑的・嘲笑的で…、そしてあなた方は、そのしなやかな脚でテニスをプレーする若きその女子アスリートの手にキスをしようとしていたのでしょう。
そこに創造されたものはなく、受け入れるということもない、また、それが訪れたこともないということ…。
薄暗くぼんやりした星の夜の騎士、彼は、確かにあなた方にも話しかけた。
彼はあなた方にすべて話し、あなた方のプシュケー/精神に意見を求めました…
全てはそこで語られた、あなた方の精神は語ったでしょう…、つまり煙草を一本二本と吸っている間にあなた方は挨拶をかわし抜け目なく独り言を言った、そのあなた方のとても言えない文句とは:…
おお! 無駄なむなしい時間にこんなうそ、こんなばかばかしいアイデアが頭に浮かんで来る…
この陽気なワイングラス一杯に、また、そのお願い、愛を結ぶこともできないし女の姿もない、愛してチューチューと乳を吸わなきゃならんのに、そんなばかばかしいこと
科学者
ストップしてください。
似た様なあることを思い出しました…、思春期の最初とその後の少しの間のことです。
5月の美しい深夜のことでした。
私はベッドから起きて、告白書を書こうと思っていました…、それは幼稚な!…
何かが呼びました、それはある種の遠い呼び声のように私に訪れました…
私は、窓際に行き庭をじっと見ていました、…人々が住む他の家々の窓の、ここそこに、白い女性たちの姿、幽霊のような愛の魂たち、不安げな魂たちが、そのはるか遠くの欲望の(つい)となる魂を捜し求めているようでした…。
しかし皆、思春期のこの種の夢に満ちた目的のない愛に言及しようとすると、それはかかりつけの医者が、私と母に言ったこと、それを知ることになる:…
それは、思春期の危ないところで長い時間、運動や体操、ちょっとした勉強、適度な休息が必要で、そのふらふらとした状態が私を弱くしないようにしっかりと寝ること…。
結局そのくり返しで、それらの夜中の幻想で、愛に刺激された魂という段階に留まった…。
この愛というものは、確定できるものではなく不確かで、あなた方が触れようとしているお話しで確かめられることではないでしょうか?…
ジュリアーノ
クラウディオ・ディ・セント・マーティン(*訳注* 1743-1803 フランスの哲学者)は、それを名前なき未知の指導者と呼んだ。
ベールに被われたもの。
包まれたもの…。
それは現れ…。
それは消える。
稲妻の様に突然起こること。
それは、涙が出るほどあなた方を感動させます。
あなた方を泣かせるほど感動させるのです。
それは、あなた方に微笑みかけます。
それは解き放たれ消えてしまい…、そして、もう戻ることはありません…。
科学者
ええ、まあそうですね…。
この種のエロスは、愚かさや精神錯乱の芽生えです:…
信じてください、私は、エロス神が私に訪れたかどうかは本当に分からないんです…
でもこれは確かなことです…
その医者は、私を治療し私に大きな幸福をもたらした。
私は自分が普通の状態ではなくなったようでした…。
ジュリアーノ
いいのか?悪いのか?…
ああ、最高の研修者よ、で、それについて理解しましたか?
たぶんあなた方の魂の、また、精神的生命というものは新しく、現実には別種のもので、医師が疑っていたものとは違う何か…
それが、あなた方のそれぞれの存在の中、この時間へと変化を与えたのでしょう…。
科学者
みんな、私が精神病院に入ってしまうのか…、と言っていました。
ジュリアーノ
どういう(精神病院に)?
私たちは、共に生きているこの人類の内にあって、精神を病んだ人達から常に隔離されているわけではないでしょう?
このように、みんなそれを見失う;
このようなことは、例外的…
後にそれをまた取りもどそうとしてみても捉える事は大変難しい…
そのようなご機嫌取りをしてみてもそれは、その扉の前からは消え去ってしまっているでしょう…。 
しかし、私の目的は、あなた方の異議に答えるにしても、その要素を暗に指し示すこと…
それらは、要因であのヘルメス的と呼んでいるもののこと、そして、広大な領域で適用されるこの理論…、人間の中のその本性(自然(じねん))に、そして、生きてきた彼個人の歴史へとまた戻ってくることであり、それに再び新しい命を与えることです。 
意志知性、そして、「」はその三つの要素、錬金術師の普遍的偉大なる薬/治療法なのです。
私たち研究家は、より広大無辺なるものを一部領域に対し選択的に適用するということはできないのです…
人間感情に対してはそれは、内容に乏しく目的もなく非効果的にそれをやり続け働きかけるということになりやすいのです。
ヘルメス的医療は、ある種の科学であり、生きる上で全ての場合に適用でき、全ての人の肉体的精神的困難へと、ラテンの人たちがホモ(人属)と呼んだこの巨大なる動物を当てはめることができる…
それが、フムス(生産的土壌)・テラ(地球)であり泥/粘土なのです。 
その維持・発展・進化へと地球の要素が協力しあい、それが生まれた…
そしてそれらは、豊穣の神サトゥルヌスの体にその必要な材料を提供している。
その力は、それらを作った組織構造の材料としての地球要素です。
磁気というものは…
科学者
すぐ磁気化のお話に戻りましょうか?
これこそ私たちが、そこで育てようとしているエロスというもの、私の興味をそそっていたものです。
私がすでにあなた方に言ったこと…いつも現れるサトゥルヌスと、あなた方の方法でずっともう言わないでといったこと…
私は、それについては喜べないのです。
ジュリアーノ
あなた方にお願いしたいのですが、私がもう充分に書きそして何回も繰り返したことを、また私に言わせないでください。
ヘルメティズム・魔術・精神主義、またその他この種の教義というものは、一般の方法では教えられないこと…
それは、他の全ての流派も同様それぞれの方法で訓練習得されているということなんです。
そのヘルメティズムの指導者は、その理論的要素を提供している、つまりそれが、私たちの実践的実際的なものだということです。
その研修者はそこで研究し学び、その遥か遠くの研修所でその現実というものへと向かって登っている…
つまりそれが、ヘルメス的実現なのです。
ですから、もしあなた方が待って私の言う正確な原理、それらを思い出し、またそのヘルメティズムにある教えと魔術の技、またその芸術的感覚を思い出すなら、それがあなた方をより実践的な細かいディテールへと導いていくでしょう。
私はあなた方の心の中にあるエロスについてお話しました…
それは、あなた方の魂というバラの花を咲かせ限りなき領域へと導く、私はそのことをあなた方にお示ししました…
その特質は、あなた方の途上、そこで理解するもの、その中に特定されるようになるのです。
そして、その他のことには恵みを与えれないというのでなく、私はあなた方の慈悲/情けにそれを託しているのです(*訳注* 彼、ジュリアーノの皆への遺言と言える…)。
私は、今後はそのほかの強力な力を研究するよりも、人間の母性的原理に沿って行動して行きます…。
そして、私はあなた方に磁気的なそのについて指摘しています…、催眠術師のそれではなく、しかし、地球的その力について…
それは、ある種の科学的な力で物理学で研究されたもの、その力は羅針盤で私たちの(*訳注* イタリア1300年ごろの航海士とされる)フラビオ・ジョイアが船乗りたちのために明らかにした大海原の道筋を示すもの、磁針とその傾きや軸から成る物・磁力、つまりわれわれを包み込み、また、巻き付いているもののこと…
いつも、ともに歩み、ある種の母性としてその両腕を通り、私たちの成長また老いと供にあるもの…。
科学者
この課題、例えとしては…、私はそんな学究的議論を目撃したことはないし誰もそれを熟慮したことがなかったってこと…、そんな何かがスピリトまた私たちの精神として瞑想され、理屈として明らかにされようとしているってこと…。
ジュリアーノ
つまりそれが、説明されているところです…。
その人間の魂や精神/地球の物的材質のことについては把握されていませんが、科学と信仰は混乱状態にあり、人々は、地球上の産物スピリトについては第七番目の天空のものとして捉えようとしている;…
それらの力すべてを理解できているわけではありませんが、その地球が持っている力は、人間にも複雑に入り組んでいて、四つの身体として私があなた方に説明しました…。
(*訳注* 第七番目の天空:ユダヤ教の天使と神の住む天、至福の状態か…)
それはつまり、もし私が、何か言葉をあなた方に言おうと準備し、その地球磁気の力に乗せ人と正確な情報を交わしているとすれば、それはあなた方に与えられているという正にその点で、あなた方が自分に対してしている別の思考や考察であるということ…。
その磁気的力は生きていて、全地球的に機能し人体組織すべてにわたり”複合的総合的”に働いている。
サトゥルヌス的/表面的なもののみならず、また、その全てのパーソナリティー、道徳的・知的な点に対しても…。
”私というもの”は、言葉を持つ前にそこに書き記し、単純なモデルとしてくり返され何かが表現された…、それは身体の原因/元となるものが、私たちのモラルやその原因の私たちの身体にと影響を及ぼし続けながら内包され、結論的に私”たち”は、しっかりと組織化されたひとつの統一体であり、ある種の基本的枠組みの芯として存在する…
その糸巻きの芯は、様々な感覚を魂”たち”の中心から肉体”たち”の中心へと運んでいる…、それは、他の働きでもなく位置を変えゆく地形学的(*訳注*空間的)には感じれない光のバイブレーションの高速性で移動する…、それが、私たちの様々な印象なのです。
人は、悲しいほど貧しく深い飢餓状態の苦悩に浸りきっている…
それは、飲食をした本来の人というものからは程遠いのです。
まず、飢餓状態で貧しかった…
世界を見れば嫌悪と軽蔑がある。
次にその闇のヴィジョンはバラ色へと変化していく…。
なぜ、”私”の小さなヘルメスのドアの向こうに、和解同意のためのごちそうのテーブルが用意されたのか?
なぜならその争い論戦好きのイライラした魂が、うまいうまいと食べているからで、私たちの中にはそんな何かがある…
満足の内に眠気を誘われ消化し休んでいるのです:
その時人は、その手でパラダイスに触れている…
そして、私が言うとするなら、…その食卓に招かれたその足で、そこ、ふさわしきその家へと人は歩みいるのです。
これが、中世の苦悩の人たち…
もしも私たちがその魂を呼び起こし人の肉体を作り出すその実行力つまり神聖な理性の哲学で満たされているのなら、彼ら(*訳注* 中世の人たち)は、一日100回この真実を試さなければならなかったことだろう…。
人は、疲れ苦労しているということ ―― 休息の後の彼自身とは違うのです…。
ひとりの母親が、病の息子を気にかけ、その人生の孤独と失望が続くことを心配している;…
もしその息子が健康を取り戻すなら、喜んでそれを見守るのです。
そしてこれは、人間の命の状態、すべての瞬間、そして、すべての社会レベルで観察されていること;…
一方で、もしも、その地磁気というものが地球のすべてのものを包みお互いを巻き込んでいるのであれば、もしもその表面を占めまた中心から放射され、大気さらにその上へと突き抜け、そして、それが生ける被造物全てを抱き込み所有する様に充満しているのなら、それが原因で変化する精神的感覚や肉体的失調、その時の私たちの不調、そこから逃げようと言い訳をしているのかもしれない…
つまりそこに足りないものを何とかしようと、その時私たちは、その神経・感情・嫌悪感・その現象や肉体的倫理的存在の異常を感じ、原因や影響をそこに求めているということでしょうか…。
どれ程の物事が理解されず、親愛なる友よ、そしてどれ程この地上の人というものを支配するそれらの影響にあなた方が疑問を抱かないことか!
その宇宙のキングは、夢見状態(*訳注* 満足の内に眠気を誘われた状態)の時の中のその人自身としてそれを呼び出す…
それは母なる大地・地球の放射力として組み込まれ奉仕しているものなのです。
まさに天空の産み出した賜物!
磁気は典型的なそのエネルギーであり、そこから逃れることのできるどんな微粒子も存在しないのです。
科学は、まだ不可解なその源であるはっきりしない多くの特殊状態、また、人智の及ばない私たちの魂へと踏み込んではいない…
それは、完全ではない多くのものと私たちの生体組織の能力の及ばない場当たり的働き私たちの思考、そのはっきりとは定まらないものの変遷なのです。
様々な段階の私たちの基本的構造によれば、その影響の基本部分、つまりその瞬間の特徴であるそれら生成される働きに対し、そこにはそのー …、にわとりと卵の様な関係があって、私たちはある種の様式、あるいは多かれ少なかれその様々な感覚の中で、この私たちが感じ得る同様の理由に始まる多少の自覚や良心の意識を持っている…。
それを感じることは私たちには少々やりきれないこと、ちょっぴり柔軟な鎖に繋がれていること…。
ある場合には、人間の多くの獣性である無責任性…。
そしてもしも、失われた文明の人類が、その科学的に証明されたこの状態…、何とも言葉にできない鎖につながれた私たちの状態を持っていたとするなら、”私というもの”は、この認識/その第一位的理想の権能へと解放されることはできないのか?…
胎児の妊婦からの出産分離は、そのひとつのより高い状態へのステップ;…
それは、母なる大地つまり地球が生みだしたその子孫たちなのか?…
あなた方はヴォルタの電池・電磁波、電話や無線電信についてご存知ですか?
それは、補助装置で空中にメッセージを放出する役目をします。
人の生体組織は、本当に複雑に入り組んでいて、自然の性質を利用した機械装置として扱えていないしそこまで進歩していない…、要するに訓練もされず未発達のままで、先例のように張り巡らされていない…、それらの繊細なメカニズムは見える効果や有効性を発現していないのではないか…?
その人の思考は、イメージとしての意志であり力、形を変異させながら張り巡らされているもの…、情愛や嫌悪また癒しや執着の様に放射され隔たりを越えて留まり、またその外・遠くへと動いて行く、正確に具体的な道を通ってひとつにつながる感動の様に…、ですかね?
私は、あなた方にこれらの謎、そして解決すべき課題、またその足りないところについて説明しています…
すなわち、素晴らしい可能性・研究熱心なあなた方の注意を引くのに十分な材料についてです。
これらの課題は、多くがパラドックスと誇張だとあなた方は私に言いました:…
それは、新鮮な沢山のイチジクが実った時、忘れがたいそんな夢の様な出来事であったということもまた私は否定しません…
それはまったくこのというものに何かを与えます…
それは、太古の創造・地上の様々な時代や地域の動植物たちのそんな歴史、それは開花へと向かい何かを内に秘め、その鐘の音を響かせ事あるごとに花開こうと画策する、それはある種の勢い策略となり、前例のないものを完成させる…。
それはイカロスではないが矛盾に満ちた伝説、そしてベレロフォンテとペルセウス(*訳注* ギリシア神話の英雄たち)、野獣をてなずける者たち、ファンタジーの騎手だっただろうか?…
これは、そんな寓話的作り話だろうか、はるか昔の飛行家で思い出される後の時代に知られることのなかった半人半神のミュータントや変異種そんな可能性のものではなかっただろうか?…
そしてもし、今日いまだその風を受け飛翔するものへの知識を私たちが持っていなかったとしたら、それらはずっと作り話のままとなるのか?
科学者
人は、常に夢を見、幻想を抱いてきた。
それは、”私”を愚かにするものではなく、ヘルメティズムという詩情や感情、ちょっと特別でその課題はここでの議論の様に驚異的で並外れたもの、何か中身のないカボチャの種に金の鉱脈はないものかと探りを入れる様なもの…。
(*訳注* カボチャ:zucca は石頭の意も)
人はある種の知性を備えたマシーンとして存在しえるのか、全てにおいて優れ、無駄のないマシーンとして特別な技量も必要とせず、高い代償も払う必要なく準備され整えられた存在なのか…。
風の力を受け飛翔するのでなく飛ぶこと、距離を隔てて突然襲いかかる雷鳴の如くオリンポスの天空神ユピテルの如く振る舞うことは、もしもタリェリーニ・アル・スーゴのスープの一皿の準備がうまくいかなかったなら、カリフォルニアの友人と話をしその考えが送られ、封筒の費用なしで、ヒゲを剃りながら手はずを整える…
あなた方ひとりひとりの聞き方、あるいは読み取り方のそれには皆、感謝するに違いない:…
そこには素晴らしい夢や幸福な時があり、その知的注意力は、私たちの中をあちこちとさ迷う、あるいはそこに何事もなかったかの様に留まり静かに安らかに眠っている、直観的な思いへ行き当たろうと、この何万年もの間、もしやその自然法則は、ずっとこの地球上で変化しなかったのか、はたまたもしやそれは、今日の様にその足で空中を駆け巡るその時の便利快適なものとはならないのだろうか…、ということですか!
それを自分たちは持っているとあなた方は言いましたが、私はそれがどんな根拠か分かりません。
ジュリアーノ
ヘルメティズムは、進言している:自身を振り返ってみる必要がある、と…。
人は様々な難局を切り抜けて来た、野性的命から文明化へと、そんな局面に現れたのは興味深い魔物やセラフィム(*訳注* 創造神に仕える最高位の天使)、身体に宿る獣や智に仕える聖職者である。
そんな時代の文明や人々は消え去り、その記憶は伝わり来ることはなかった、そして現代人は累々としたその痕跡に気づいて行く…。
それが語らんとするのは、想像を絶する激変、より多くの人間が犯した過ちの疑わしき結果:世界的規模の人民・種族・闇の背後へと姿を消した者たち…。
誰がそんな者たちのこととあえて想像しているのか…、彼らはその智の痕跡を残さず消え去った、その鍵を得ることなく…、それは私たちにとってはただ未知の謎であり、また私たちの誰も考えたことのない冗談のような幻・矛盾だろうか?
そんな人類の進歩への絶頂が何なのか、それがはるか遠い昔の困難事で達成されなかったと誰が言っているのか?
そして何が宗教的に引き継がれ、罪の原因や不正が何で、これらかなたの世界の深みに沈み込んだ祖先たちが告げる特質は存在しないのか、彼らすべての能力のもろさ・そんな無知は、おごりへの自覚のなさなのか?…
そんな海の水にとこの地は閉じ込められ、あのアトランティス島は姿を消したのか、その様な何事かは悟られ明らかにされねばならないのだが…。
かのエジプト・メキシコ・コロンビアの難民たちがそんな姿を消した大陸の人々なのか、彼らの一部あるいは全部が移動し、その文明の科学知識のそんな絶頂を私たちは憶測しているのだろうか?
あるいは彼らは、ごく限られた集団であって、知識を備えていたわけではなく救われることもなく、その知識をほとんど受け継ぐことなく消え去ったのか…
何を間違い破滅し底知れないその深みへと衰退していったのか、それら全ての間違った行為を人々は、相続しその形質に伝わったものとして持っているのだろうか? 
あなた方は夢を見ている、つまり私たちは夢を見ているのです! 
もしも修道生活をしているのなら、ノルチア村の聖ベネディクト(*訳注* 中世480年頃-547年、修道会の祖とされている)前後のその宗教的生活は、心の支えや避難所的なものだっただろうか…
人はそれを心底飽き飽きする程まで望んですることができた…
あるいは無意識的不安や恐怖、時にキリスト教信者たちの危機においては、それらの危機は何か時のローマ帝国に破壊と容認をもたらした…
それは、異なる蛮族たちの訪れ・すでに敗者であったラテンの人たち・そんな思想集団として重くのしかかったのだった…
そんな魂が、漁師の聖ペテロ(*訳注* キリスト12使徒のひとり)や熱心だった革命家聖パウロである。 
私は、中世の故人の遺徳をたたえる詩を見つけた ―― 心から心酔し何事かを求め”夢見る”様な ―― そのふさわしい夢に安住しその”想像的イリュージョン”の長い夜・そんな人生を生きる様な…。 
それは、また一つの別のイデア(理想)…。 
幸福なる者は、生きることを知る者、うっとりの状態で夢を見ている…
そしてそれは、喜び…
私たちは、その夢から覚めないということ;
不幸な者は、楽しい夢を見ることを知らぬ者、あこがれて達成する…、そしてそれは、人生の目的であり、愛に生きること! 
しかしそれを知ることは、科学(*訳注* 「科学」の語源は、「知ること」という意味)であり分別/自覚/良心に目覚めること…
そして私たちは、まさにその点を知らない…
それは、自然の力であり地球によって表現されている何か、そのインテリジェンス・知性が放つもの、知恵に通じること…、今だ人が近づくことのできなかったものであり、人々が本能的直観的であること、そして愛に生きる私たちというものを理解することである。 
そのアニマ/魂を理解することは、母なる地球が考える存在であるということ…
そこに人類のパッション(苦悩や情熱)が連なり人は、その揺りかごに身をよじりもがき苦しみながら死へと向かう…
それは野獣としての魂を、またあわれみ情けのかけらを理解すること、それは”石”の様に不動の何か・混沌のカオスから原初の時が生まれたところ、そこには時の概念も形の認識もなかった…。 
しかしその時、その愛はすでに天空を駆け巡っていた、それが、巨大で計り知れない無限の海という時、無限の霧であり火であり水、泥土ぬかるみ、様々な原子と言える:
”我”は、その命である! 
その磁気は、分極し方向性を持ち、分離と合成の作用となった…
そしてそれは、方向性を持った誘導と相互の結合・光と音(波及)の雷・その絶え間ない動きとなった…
その破壊的力の誕生は、それぞれのスパイラル(らせん)に何かを集積する、無限のヘビのように…
それが、原因となってそれぞれの命の誕生の光・そのセンターへと引力が働く…。 
この様にそれぞれの愛の結合が仲立となり、最初の要素・分子たちの間で、その磁力は方向づけられ太陽周囲の(*訳注* 地球の)公転軌道(*訳注* あるいは、地球から見た太陽の黄道)のルートをたどる…
それは、光であり知性や希望、その堆積した固まりのグローバルな世界…、恐竜たちや”怪物”たちにはまだそれは一般化していなかった…。
科学者
まだちょっと世界の起源については叙情詩的ですね!
ジュリアーノ
叙情詩は、歌われ響きわたりました! 
あなた方はこの地上現世の磁気的壮大な詩情について感じ話そうとしていない…
なぜならその認識は、身体的なもので、あなた方は、不完全で貧しいとらえ方しかしていないからです。 
男という”怪物”は、磁気的にうろついているのです。 
完全・健康・バランスのとれた男性は、磁気的な調和なのです。 
すると女性はすぐ男性と結婚する…、そこで彼女の中に地球から放射される力が取得確立される…
その磁気は、第一位の卓越的作用の力で地球の全生命の調整役なのです。 
このように胎児を宿すということは、この力の優位性によってそれが解放され展開すること…
新たな月(*訳注* 変容体)たちを通じて栄養と磁気的感覚が途切れることなく与えられる…
精巧繊細で音として聞くことのできないその存在は、この(*訳注* 磁気的)放射の保護的影響下で光へと至る…
それは、全ての形ある生命体の基本集団(基本構成要素)を巻き込んでいくのです。 
その特異な性質が、この新しい身体全ての存在に寄り添い受精卵発生の初段階で待機状態の魂となり、何かをそこに運び入れ付与するとするなら、それは以前の体験・その歴史で、それらの実質が形となって構成された何か…
それが、悲哀欠乏感や人の命の熱情や苦悩にと再び入り込んだものかもしれない…。 
こうした理由から、その「男」は、人生の苦痛やそれぞれの危機苦悩の瞬間に胎児姿勢の記憶を本能的直観的に再び思い出すと主張する…。
それこそが、かのフロイトで、この無意識的記憶が点火される真実の時である…
がしかし、そこには別の説明が与えられています。 
もしもあなた方は寒いと感じれば、体を丸めて母体に守られる生前の胎内環境のようにする…
その磁気回路は、そこで閉じ守られている時、つまりそれは守られていた…すべての電流や電磁波・熱量やその影響をあなた方は、能力として積み上げて行く…
そこに人々は、磁気的防衛の記憶を取り戻す…
それは典型的な何か…、あなた方の無意識に留まる決して消去されないもの…。 
私は寒さの感覚を引用しました、それはその例がより適正だからです。 
人間の生体組織のその感覚・熱の不足感は、その不在あるいは命の減退に関係する。 
死体や病んだ身体…。 
その働きやシンプルな影響は、人体への地球磁気の影響であり、親愛なる友よ、その絆と全広がりを、名声と権威ある科学の研究者の誰も主張してはいない…
それは疑われていたし、語る者もいなかった。 
最大限あなた方は、占星術の何事かをあれこれとほのめかしているに過ぎなかったし、また、占星術の馬鹿げた観察には何かおかしなこじつけがあり、人の人生の予言をしようとしている…
それらの判断材料は、惑星の非常に変わった位置・月や星々の位置をもとにした出生の瞬間から判断される…
それらは、お笑いぐさのにわとり小屋のにわとりたちのよう…。 
それでも、もしも大学の実験科学が、その観察を続け記録することに価値があるなら、それは目にする自然と動物すべての生体間のなんらかの一定関係を探究し続ける困難さに無関心でいるわけにはいかないだろう;…
人体に関する非常に感覚鋭敏な様々なつながりは、また私が身体について言う時には、人を肉体として理解したい…、知的で精神的なものとして、つまり完全な人間として…。 
あなた方は何も言及していない…、だからふたつの言葉でその占星術に充分提供されることに言及したいと思います:…
それは、私が笑った占星術、経験的な偽物の天文学、仮にそれが、北米やイタリア以外のヨーロッパで作られたものであるなら、中世に間違って解釈され模倣された問題の姿である…。
1911年の会報誌で、私は迷信的で俗っぽい占星術(今日でもそうですが…)の500冊に対峙するある1冊の本のことを思い出しました…
モデナ出身ののジェミニアーノ・モンタナーリ(*訳注* モンタナ―リ:占星術から決別した最初の観測天文学者と言える)、ボローニャとそれからパドヴァの大学教授のその本には、その濫用のことが記されていた、その感覚はまっとうで私たちの素性のこと、他の国の他のうさん臭い神秘家たちの鼻先へともたらされたものとは異なっていました。
それで占星術の、またイタリアのこの分野の優位性についても、私たちはすぐに話す機会があるでしょう。
科学者
私はある本を読みました…
そこで触れていることは、ふつう天文的気象状況と動物たちの神経のすばらしい感覚能力の間には何か深い関係があるということ、また、それらの影響はふつうに植物相と海洋生物にもあること…。 
それらは、普通のことで、愛好家たちの様々な知識の寄せ集めとして記されたもので興味の対象として追求されて行ったのです、あるいは人々に何か貴重なことを知るという偉大な気風や雰囲気というものが与えられたということ…
それは、誰も知らない、また科学が受け入れていないことです…。
ジュリアーノ
ヘルメス的・魔術的・そしてカバラ的なすべての哲学は、また何かピタゴラスの数的なものへと集約される…
それは、1という数の上に基礎付けられる;
すなわちそれは、自然宇宙における様々なものごとと言える…。
ただひとつという奇跡に…
それは、宇宙が同時に奏でるアンサンブル…
マクロコスモ(大宇宙)は、お互いに一致類似するところがその中でミクロコスモ(小宇宙/人)と相互反応する…
つまり小さなそしてより瞬間的な宇宙と…
それが、人”類”という存在…
科学者
それについては今日的ではない他の著者たちで読みましたが、確かなものではない;…
なぜなら、もし大宇宙とという言葉に含まれる小世界の間に、直接的これら類似の比例的釣り合いというものが証明されたなら、現代の科学的統合体すべてはひっくり返るかもしれない…。
ジュリアーノ
宇宙の統一的概念は最も古いものです。
それが、またそれ以外のものが、あると私たちは言うことはできない…
なぜなら多くの文明・大陸・人種や国々が失われ消え去り、確かな考えとしては、伝統的に受け継がれて来たものや遺伝が存在し、言葉だけで伝えられてきたからで、…多分シンプルにそれらイデアが収集され、その後へと様々なイメージとして、アストラル内に伝えられた…。
(*訳注* アストラル:星的精妙自然界の働き)
しかし、それらは何か全て万物である実在のヴィジョンについて人々が考えたこと、その時代に考えられていたこと…
鉄道が走る以前・オートバイや自動車がまだ走っていなかった時代のこと、人々は、その存在が現実となることを知ることもなかった…
それら全ては現実となっている…
それこそが唯一/ひとつであることなのです。
コスモス宇宙の様々な力は、この様に相互に行き渡っていて、また統合的である…
それが感覚であり、最も厳密な天文学と気象などの自然現象学…
それは、自然の中の調和和合の統一力と相互に結び付いているのです。
したがってそれらの相違は、二次的な様式であって、機能としての感じ方、統一的エネルギーの放射あるいは活動性の違いなのです。
それでは、どのようにそれが力として引き出され、何が地上に産み出された全てのもののただ一つの源なのか、その命の結晶から植物たちや人間が産み出されたのか?…
命の表れは、その基本部分の何か、つまり何らかの力であり、その増加や減少、…母なる地球の全ての存在が持ち所有する何かに貸し与えられたものなのか?…
あなた方はその月(*訳注* 変化する性質の何か)を見ているのか?…
役立たない偽物の教えのシレノスの絵を描くのではなく、あなた方は、その(*訳注* 月の)軌道をしっかりと観察してください(*訳注*シレノスはギリシア神話の半獣神:人間を象徴的に表現している)。
それ(*訳注* 月)はシンボル的紋章であり地球自然界の本性を提供する詩情の光彩/”光輪”、あなた方は詩人(*訳注* 詩情を表現する存在)なのです。
この共感的な友であるノクターン/夜想曲的慕情情景の静けさと愛に満ちたものは、確たる軌道を行き来するのです…
そしてその軌道は毎日毎時毎分その形と様相を変化させる。
それは泣き、そして、笑う。

---地球から見た月の27日分の動き---
ただ満ち欠けするだけでなく、月は
楕円軌道を回るので、地球から見て
距離が変動し振動している様に見える
跳ね上がって光彩の絶頂に達し、そして徐々に消え行きその軌道へと再び始まる。
この様に人の命、地球の命、宇宙の命は存在している…。
月は、常にそれ自身であり、変貌の表れ;
その様相は、変化すること、地上の全ては、その様に移ろい行き、天空の目に見えるものもまたしかり…。
何ものが地上に創造されたものを地球から分け、何がそれを造ったのか?
それらの力と摂動を、あなた方は、学んでいる…
そこには気象などの自然現象があり、地球上のそれは、まさに外的な表れ…
あるいはその力関係として、事実あなた方が、まだ知らない相互結合という法則的側面があるのだろうか?
また、もしもそうなら、なぜ感覚を持つ動物の生体組織からこの影響が導き出されなければならないのか?
私たちは別の機会にこの関係、力の交換が繰り返されること、生み出されるものと生み出す原因との間の働き、母性とそれを受け継ぐものの関係について、またお話するでしょう;…
今、私は大変重要な人間が感じる生体組織の働きである地球磁気の概略に触れました…
そして、そのはっきりしない感覚部分である磁気の分極化、グローバルに指揮作用するものに関し、どれ程私たちが、自覚しなかったのかについて触れました。
それで、その磁気について私はあなた方にある言葉を言いたかったのですが、それはポジティブな意味でのヘルメス的治療についての説明です。
私たちは、人間を孤立化されて組織された肉体であるとは思ってはいません…
それは、ひとつの生物学的ユニットとして自然界の中で分離しているわけではない;
私たちは、ヘルメティズムにおいて人間は、ある種の環境の中で生きていると考えるのです…
ある種の入れ物の中で、人は、希薄で軽いその何物かから厳格に分断されているわけではないし、その物質は、決してそこから分かれることはできない、くっ付いているのです…
したがって一度も分離しなかったのです。
あなた方が生きた魚を一匹大きな水槽に入れる…。
その魚はその少水域を泳いでいる、一方でその水と魚はその性質上その入れ物の水槽で支えられていて、それはさらに地球によって支えられている…。
あなた方自身を、この言葉の感じの様に、分離できるのか…。
それは、在りえない事なのです。
鳥は固体地球の延長としての大気を離れて飛び出ることはできない;…
空気、それは地球の息/気配/そよ風…。
科学者
これは、本当に分離しています…
あなた方が前提とするそれが私には、可能だとは思えません…。
もしも霊的な(ふた)(*訳注* ふた:壺という意味もある:ここでは魚の泳ぐ水槽と関係して暗示されている)で覆われたその圧縮大気下であなた方が、その空気を抜き取り動物的生体組織に与えているなら、これはありがたいご恩義であり、人が捕らわれの身となりこの下位の平坦な世界に置かれていること…
この地球に接しこの様に支え続けられているということ…。
それは物質的、他のいかなる方法でも不可能なことです。
ジュリアーノ
今どの様なことが不可能でも、同じ理由でその分離されていない何か/魂の与えられた身体は、優れたあるいは及ばぬ感受性(感覚や感情/認知)と共に我慢忍耐しなければならない…
それは必要なこと、人の一部を成すもの、地球のエネルギーとしての命…
それは、まさに歴史的遺産として与えられたものです。
磁気・電気・光・音・熱、これらは私たちの前を通り過ぎている、私たちを通過している、またその頭上を…、それらは感覚的影響をそこに与えるものではない…。
感じることができるとは?…
私が言いたいのは、そんな私たちの”感じ”は注意を向け感じ確認し、意識的に特定すること…、言い換えればそんな影響を感じるかどうかということ…。
いずれにしろ、そこには他の影響もあり、それらの現れは直接的印象を与えるものではない…、しかし何らかの反応を私たちの統合的生体器官に反射的で感覚可能な何かとして普通に引き起こしているが、私たちはそれが本当の原因でありまたそこに引き起こされたものであるとは考えていないのではないでしょうか?
それが地球の磁気、自然界の電気とのコンビネーション…、それが神経の様々な混同の原因・何らかの二次的な響きの器官的違和感や()としてトータルあるいは部分的にそこに引き起こされるも、私たちには特定できないそんな影響のつながりを全く信じていない…。
この様に人のコルポ/体は、損なわれ組織化されていないし苦しんでいる…、私たちは生体組織というものをこの様に捉えその真価を与えることができないでいる…、そんな構成の在り方は、異なる人たちの能力にとっては努力する必要もなく守られてきたものだったのです。
そんな病んだ人の寸断された磁気回路の構造は、回復できず補充する何の力もなく、バランスある以前の状態を失ったということ…
なぜなら、もしもその人が不調の状態になってしまったなら、地球からの(*訳注* 磁気的)分離は不可能という自明の理によって、彼から発せられるオーラ/霊気もまた病んだからです。
それが、病を拡大させると思ってください。
それが悪影響を及ぼす病の特徴である、と学ぶ目を持ってください。
様々な生体組織、それらは忍耐強くもあり、また病に倒れもする。
細菌感染の概念に対しては、もしもそれが生命力の強い生体組織のはねつける能力について言えば、殺菌と言えるのだが、その特性は情け容赦ないもので、様々な病に対しこの様な過程・常に見直され続け修正されるシナリオに従ってのみ為される。
この様に人の引力的地球磁気力や現象の方向性が変わると病になる…
ある種人間の意志の力の鎖は、そこに健全性・健康状態を与えることができる…、雷の光のような奇跡として…。
科学者
しかし、あなた方は人間たちの意志力の連鎖で何を指摘したいのですか?
他の人たちの意志が、その病んだ人を癒すということですか?
ジュリアーノ
違います。
それはただ単に共感し意志の力に頼るという事ではなく、何ものにも固執しない寛大な性質の力であり、一種の磁気的なチェーン・実際の意志の絆であり、その様なわずかながらの言葉の力で共に支え合うこと・共に手にしている風味付けによって、あなた方はそれを完全に手に入れることができるのです。
もしこの地球が、磁力を持ち、何かその磁石の中に引き付ける極めて内密性に関係するある種の原因となる力…磁石の現象として現れるその裏側により確かで具体的なものが存在するなら、その小宇宙、ホモサピエンス(*訳注* ホモサピエンス:「知恵と同じ」という意味と「人」という意味をかけている:人間の知恵といったニュアンス)は、ひとつの引き付ける力を持ち、何かを構築し続け客観的表れ・特定特殊な誘導性を持つ特徴的な効果の力として発現する…。
科学者
それは初めて聞きます。
ジュリアーノ
こうした(いにしえ)からの言葉は、的確巧妙ではないにしろ何らかの働きやアクションを誘発するもので、野生から文明状態へと至る全ての人類が、持っていた何か…。
それは、人のオーラ、私たち肉体の原子や分子の体外への放射(物)、またそれらの力はマクロコズミックなもので磁気的なものとして行き渡っている…
それは、私たちの個人的エネルギーと組み合わり、つまりは、人類と相互に関係する地球から放射されているエネルギーなのです。
その場合、オーラは活動的なその力へと変化し意志の統治下へと至り、それ自身が望むところへとピンポイントで向かうのです。
これは、私が効力を発揮する方向性と言っているもので、おおよそ標的の中心・最も感受性の強い中心部を照射するよう到達するのです。
今あなた方は、その両手をその鎖につなげて持っています、…さらに言えば、決意された意志で活気づいたその類の特徴を持つものは、単純に一致する方向へと達し接触し修正しようとするだけの目的で、その病んだ人の体を包み込む…
この鎖・確かな効力として持ち込まれた磁気的な何かをあなた方は、得るのです
科学者
暗示(提案)ですか?
(*訳注* 暗示・サジェスチョン.伊:suggestione、―― ここでは科学者が、創造的に修正されるような意志をもつ健全な磁気的エネルギーを得ようとする行為をジュリアーノが科学者に勧めているのか、とたずねている)
ジュリアーノ
あなた方は、日々為される体験や交友関係の中にある事実から、その助力を得ていたのです…。
ずっとその古から言葉の何かは口にされるも容易には信じられてはいないし、ほとんど顧みられずまたそこから得られるものもほとんどなかった。
ひとりの友は、多くの友人たちの間で、自分のその体重を片足だけで支えていたのだった…
そしてその体勢で7分間耐えたのだった…(*訳注* ひとりの友とはこの場合、ジュリアーノが科学者のことを暗に言っているのかもしれない…)。
ちょっと前(の話し)で触れたように、私たちは鎖を構成しその手はわずかに触れ合っていた…
そしてその同じ人は、その鎖の構成要素同士の接触の中、まさにその同じ体勢で22分と6秒間耐えたのだった…。
このようにこの鎖は物理的に、効力を発揮する方向性で、ある種の効果を見える形で生みだしたのだった…。
科学者
私たちは、これを理解しました…
私は、これを信じ私の思いも今実際実行された:…
この鎖によって示される暗示という形式、そしてそれは、暗に示されたものそのものとして実行された…。
ジュリアーノ
しかし暗示するという事は、最良にして忍耐強い友よ、それはヒントを与えること、そして私があなた方にそれを説明するなら、明瞭な方法で光について・以前私が明らかにしたこと・人類社会に一般化しようと骨を折る必要のないある種の言葉・そこに持ち込まれている”感じ”の全て/ちょっと事実とは異なるもののことでもある。
そしてもしもそれで女神ビーナスのその24の時を打ち震わす準備ができたとするなら、荒れ模様となった太陽・つまりサトゥルヌス神にはその大鎌が必要…、たった今にとそれは引き継がれている……(*訳注* ここで、サトゥルヌスは豊穣の収穫神のこと、そのため大鎌は収穫を得ることとして暗示されている)
科学者
私が望んでいるのは天文学が伝えようとしているものですが、これは干からびたのちの時代の的外れな理解、それは意義あるものには程遠かったんです!
ジュリアーノ
ですがしかし、サトゥルヌス神は全ての神聖さの父なんです…
そしてその刈り入れの大鎌は情け容赦なき英断…、古くからのものにもう何も利点がない時、顔色ひとつ変えずそれを実行する…。
サトゥルヌスは、その「時間」という何ものか、言い換えればアニマのような何かが、生まれうろつきまわっている…
それはとどまることがない。
そのものに死というものは、存在しないのです…。
科学者
そういうわけで、それは私を自由にはしない、と?…
ジュリアーノ
決してそうではありません。
それについては、また水曜日にお話ししましょう…
メルクリウスの時の中で…
そしてまた、そこで喜んでお合いしましょう。
(*訳注* 水曜日 mercoledi メルコレディ は、メルクリウス/ヘルメスの日、ラテン語のmercuri dies メルクリウス神の日 が語源)


対話その4 完


付記 4

---クレンメルツの後継者たちによるヘルメス辞典より---


AMORE アモーレ 愛
― それは、熱の様な存在、磁気・光・電気・放射線の様な…;これらの言葉全てで代弁されるものよりもっと強い起動力であり、その愛の物的資質は、動的力の存在状態となる…その本質は謎で、創造と破壊の側面がある。
それは謎であり、法則である。
純粋で神聖な愛は、犯す事のできないもの、天地万物創造との一体化にあり、その創造主の永遠の光の中にも存在する。
それは、神聖魔術の清らかな泉であり、等しく誠の愛の中に存在し、等しい同胞たちへの自身の献身の中、他者への真の罪滅ぼし行為の中にも存在している。
永遠の命である精神たちは、物的な物の中にその影響力を展開し、法則として一体化した何かとなる、その一つとなった存在・原型は、つまり地球またそれ以外の中にも過去現在未来永劫存在する何か…。
一つであること、その法/物事全てとしての実在/感覚認知できる諸々のフォーム、その原型である。
― それが一者としての精神/スピリト、この一体化したものは、アモーレ/愛と呼ばれる(=ラテン語のアモール Amor ⇄ 逆から読んで Roma ローマ)。
神経が高ぶった症状の観念論、その神聖さに関する項目は否定されている;…
研究所の科学での精神という項目は、否定されている。
その課題の中には管理役とも言うべきものがあって、協働統治の情報を伝える…それは、肉体的物理的なものです。
愛は、その伝令役メルクリウスの中に潜んで、何かを想像もできない程の高みへと引き上げ、そしてサトゥルヌスは、それを手に、命に必要なその何かを結びつける。
愛は、正義/公正さへの渇きであり、それが入り込むこと…。
つまり弓と矢を持ったキューピッド、なぜならその矢は貫通し入り込み浸透し広がって行くからである。
そこには現世的働きはなく、化学の原理によって決まる何かが、組織的ではない身体/獣の体へと動物的にその愛を次々と再生させる…
それは、それまでにはなく取得されていなかった小さな統合という献身苦心の形跡/印象…
それは、万物の統合に対応する何か…。
その変異体それぞれの存在が、その愛であり、それは同位体そのもの…。
その人自身の、あるいは部分的な犠牲なき愛、それは感覚/印象とはならない。
人は言う、献身なき愛する我が愛すること、それは愛しているのではない、と…。
自分を犠牲にし愛する人を愛する誰かが、その偉大な愛という行為を完成させる。
恨みや何かで人を縛る様な愛を持つ人は、愛を証明できる人ではない。
なぜならその欲望は、愛とは反対のもの:…
わが身を犠牲にすること、つまり本来の欲望は、自由なるもの、その情愛と人柄は、愛する人のものなのです。
愛には二つの座がある:脳と心である。
幻想性のまた計算高く夢中になり酔いしれる脳にはその愛は、不純である…
それは熱中であり悪魔的…。
― 純粋従順な忍耐強い心には、愛は”感じ”/情的印象であり、権利や義務の放棄、天使の様な献身である。
― 脳は、生理学的に臓器と結びつき、性的には純粋な器官ではない…。
その非純粋な愛は、そこで虚栄心的空虚な欲望として芽生える…。
リリスやサマエル(*訳注* 悪霊や悪魔の類)は、うぬぼれさせ好色的みだらな花を咲かそうとさせる;…
そしてそれぞれのこの愛の行為は、卑しい行為、その心の高ぶりに高揚はない…
その瞬間の獣の様な横柄さには、満足がない…。
しかしながらその愛の心のその脳には、その暗雲の好色性は流れ込むことはなかった…
それが神聖なる機能であるところのもの…
それが、それぞれのいつくしみとしての愛を待ち構える事になる…。
それは、アニマ/魂からのほとばしり、二つの本性の間で精神的に何かが相補い合い完成される…。
それは、ふらふらとはっきりしない情感として告げられる幸せな気持ち;…
その大きくなり増大した強度は、物静かな合意…二つの愛の申し子/一人の共通の(あかし)となる。
その第一は、情熱であり、その第二は、理想…。
それら心に湧き上がるもの(一人のスピリト/精神として完成され放たれた幸せな気持ち)、それは、本能的記憶として保たれ、次々と発生する多くの命の中、言い換えればその後の多くの生命にと放出される…。
― それは宿命、すなわち聖なる意志に必要な状態、かつて存在した何かの記憶を保持するそれ二つの性質として持ち込まれる事になる…漠然としもやもやとしたひとりの以前の追憶として…。
地上社会でのその二つの状態には、事あるごとにその彼らの罪深い愛が顔をのぞかせる。
人間社会でのその愛、犠牲や献身の何たるかは、明らかになっていない:…
暴力的ではなく服従し尊敬の念を抱かせるその本心/ネイチャー(nature)
それは、素朴で素元(もともと)のその意識/気づきとして揺さぶられ慣れて行くもの…。
それぞれの不幸・痛み・苦労や困難の原因は、不純なエゴイズムの愛なのです。
― 淫欲な腰つきで身を焦がし、何かが精神の昇華を邪魔する…
それは、アリギエーリ(*訳注* ダンテのこと)の物語(*訳注* 『神曲 Divina Commedia :聖なる喜劇の意のダンテ作の長編叙事詩』)…。
また、かのボッカッチョ(*訳注* 1313-1375 作家 人文学者)は言う…
それは、見事なるあれこれの血も踊る情熱のお話し、すなわち何かそう、けだものの様な肉欲的野性的なおしゃべり…
この様にこの悪癖/悪徳が用いられ、更にそれは、淫らになって行く…。
脳の愛全てのそこには魔術的な祭壇があり、それは何か病的な魔術である。
それは好色漢/殺された色男アドニス(*訳注*〘ギ神〙アフロディーテに愛された美青年)だった…
そしてその肉欲のライオンは、人の神聖化にとって最も恐ろしい敵である…。
それぞれの脳に宿るその火は、女性の持ちもの、それは、法・宗教そして公衆のモラルによって消される…。
ダンテのライオンのくわえる肉は恐れであり、それは、魔術的昇華にとって大きな障害であり、その匂いには何か人間社会全てのみじめさが漂う…。
純粋な愛の天使は、アナエル(*訳注* 神の愛の意):彼は創造主である。
男女その二人の悪魔の肉欲的感覚が、サマエルであり、死の天使・破壊者…そしてリリス・誘惑の女神は、男をたぶらかす:…
実際獣的な不純な愛の働きは、わなを仕掛け性的交わりを生み出し、死の大鎌で新たな実りを得る…。
もしそのスピリトが肉体化することがなければ、確かにその大鎌はそこに振り下ろされることはなかった…。
そのスピリトと共にいる誰かは、その情熱や罪の底知れない深みへと戻ることはない。
すべての実践魔術は、愛へと向かって行く。
愛は、神聖な知恵であり、つまりは全てを包み込み理解する能力…
本能的直観的に限りあるものと限りなき世界にある神性を抱きしめるものである。
代償を求めない愛、その奥深くの詩的情熱情緒に、また慰めや救いという希望のない痛みへと、その純粋なる魔術は、それぞれ大いなる奇跡としてその高揚をもたらす:…
その信頼は、かの不滅の栄光と至福、そしてその喜び…
唯一絶対の神エホバ(*訳注* ユダヤの神)へと自身を犠牲にして近づこうとすること…。
魔術に影響を与える者は、愛と許しを知る必要がある。
エゴイズムのない愛は、神聖なもの。
あなた方は深くそして理想的にどこにも嫉妬や恨みの無いよう愛するのです、それが積み重なり凝縮することで利己心/エゴイズムは愛の中に抱かれて行くのです。
その愛は神への愛、より本能を魅了する;…
その退廃は、高貴なる意識が堕落すること…、つまり愛は神聖なものであり、人を神聖化するもの。
愛は、社会を構成する上で、より価値あるものを完成する…そしてその鍵・最も清らかなイシス神(*訳注* 古代エジプトの豊穣の女神)、実り多き宝/創造主の神聖さ、人間のまた落ちぶれた者たちの中にも存在するものである…。
それは、ヴィーナス神の神秘…
この包容力ある愛を敬う祭礼の何かではなく、創造の中の創造のその二つの軸を一つにする何か…
生命とインテリジェンスのメルクリウスであった…。
それは、バラの花であり、愛の花…。
それは、バラのロマンス、そして中世における愛の宮殿、トルヴェール(*訳注* 中世北フランスの吟遊詩人たち)、ダンテの詩、それら幼い兄弟たち/古代ローマ圏ラテンの哲学者の卵たち…
それは、ほかでもなくその愛に潜む愛の徳・そのロマンスの物語…。
愛なくして誰も詩人とはなりえない;…
愛の中、そこには真理/真実がある、つまりそれは愛徳の芽生え…。
愛のその次の段階は、宗教的また倫理的な形式である:…
実際の人類宗教の感じ方/その教えは、愛することではなく、我慢し病的になってしまっていて、その様な表面的な印象の信仰のままである。
人の思いやり情けというものは、本来の人格にとって居心地の悪いものではない…
隣りの家を見張って銃を向けている様な事でもなく、しかし本当の仲間に魅せられ愛すること…
人を深く理解し、同じ気持ちになることである。
この愛は魔術的で、第一義的直接的なものである…
なぜならそれは、善意や思いやりのオーラ/情的波動のやり取りであり、健全性を与えそれぞれのタイプや(しゅ)の恵みとなるからである。
そんな様式でそれは、磁気的に影響を与え病んだ者へと及び結果をもたらす…
そのバランスの取れた状態は、その人に与えられた健康という可能性となるのか?…
― そうジュリアーノは、言った;それが愛していること、と…。
そのステップそのしぐさと共に、それを夢見て我を忘れる必要もそこにはない;…
ただそう望むだけで良い…その言葉の語源学的意味のその気持ちになればよい。
その気持ちになって同情することは、あなた方が苦しんでいて調剤薬を摂取しようとしたことでも、回復するよう祈ったことでも、愛の顕現についてあれこれと患者に言うことでもない…。
同情とは、共に耐え忍ぶこと;それは、元はラテン語の苦しみ、粘り強い忍耐。
いずれにせよ、もし私たちの魂の状態が、情感的共有であるなら、その磁気的放射は治療所となる。
一致同調し合流した二つの魂は、一つの忍耐という調べとして浸透し愛し合う…。
愛は熱情であり、つまりは、忍耐、魂を動乱させ浸透していく時の苦労/苦心なのです。
― その愛は、全能の神の意志である。
その愛は何かを創造する…それは、生贄として差し出された愛であり、全てをさし出し何ものも要求しない。
― その特徴あるいは磁気の高位的様相が、その愛である。
あなた方は、愛し、そして元気になる…。
愛し、あなた方のその磁気は、(しず)まり落ちつき、素晴らしい奇跡として生じ目を覚ます。
その清らかさは、キリストのまばゆいばかりの輝き、それこそが、人と人の間の愛;
それが、人の偉大なる勝利/象徴的大国であり、神人を現実のものにする…。
すべての人たちが愛し合う時、それは、現実化し、日常となり真実となる…
つまり病的有害なあるいは悪意の磁気は、人から分離され存続は不可能になる…
なぜなら愛に闇はないからである。
ダンテの言うキリストの憐れみの情・同情の心が、その愛である…それが、詩の最終行の愛。
つまりは、聖なる詩人…。
― そこに愛は出現し、それ以上ない詩篇の全てがあり、存在の新たな状態として私たちの中で感じることができるのだが…。
― あなた方は「希望し」、そして「愛する」。
これが、偉大な二つの言葉、それは、二つの鍵であり神聖な内奥への扉。
― イメージされた理想イデアの中の平安、そして自覚/良心・意志を伴った”行為”に、愛は訪れ豊かさをもたらす。
愛することが、愛。
ラテン語で、Amor アモール/愛は、反転して Roma ローマである。
それは、ヘルメティストと魔術師の為に存在する愛の感覚、それは一般大衆の誰も知らない何か…。
救済役としてこのエロスの神は、人類全ての良識/自覚/良心としてその姿を現したのです。
このエロスは、反逆の堕天使ルシフェル、それは火であり光なのです。
それは、心のかき乱し役。
心の闇の暗がりの中、それは、悪魔の様にその姿を現すのです。
その言葉は、あなた方のプシュケー(注12)(*訳注* 〔ロ神〕エロス男性神に愛された娘/人間)へと向かう。
それは、彼女/人を魅了するために降り立ち、魅了し引き付ける…
お互いをものにせんとお互いの疑念に在りながらも四夜を過ごすため…、それは、また天の神話へのあこがれ。

(注12)ウイキペディアより
プシケ あるいはプシュケ、プシュケー(ギリシア語: ψυχή, Psyche)。 英語読みでは「サイケ」「サイキ」、フランス語ではPsyché「プシシェ 」。
古代ギリシャ語の基本的な語で「息」という意味の語。
プシュケー - 古代ギリシャの概念で、息から転じて、いのち・心・魂などに相当する概念
プシューケー - ギリシャ神話の女神
プシケ (心理学) - 現代心理学用語の「心」。

それは、崖っぷちの狂気錯乱、そしてその歩みは、精神の活発化領域の創造性へと至り、人間の不死性に在って、人は、真実と現実を、またそこでもてなす恐怖や不安を告白するのです。
そこに人は対面させられる…言い換えればそれは、宗教的信仰、あるいはそれを信じないということ、あるいはまたそこに分離出現してくる奇怪怪奇巨大な初めての感覚や感情…。
― そこには森羅万象の天地万物は、存在しないし、それが、そこに訪れ受け入れられる事も受け入れられた事もない。
聖クラウディオ・ディ・マーティンは、それを「未知なる導き」と言った。
ヴェールに覆われたもの。
人目にさらされないもの。
何となくそれらしく見えるがはっきりしない何か。
それは、見えなくもなる。
それは稲妻の様に目まぐるしく変化する。
それは、心をほろりとさせ涙を誘う。
それは、心を激しく揺さぶりすすり泣かせる。
それは、微笑みを誘う。
それは跡形もなく消え去る…、そしてもう戻らない。
― このプシュケー的エロスは、あなた方の魂のバラの花を開き、その無限領域へと誘う。
それは、愛であり、清らかさと神聖さの同居したもの、その何かは、見えぬ天の隠された言葉を貫き、そしてその科学としての知を獲得する。
― 貫き浸透し行き渡ることが、「愛 アモーレ」であり、秀でた哲学者・詩人たちが言及した≪全能の力≫…
なぜなら愛へと向かう全てのものは、可能となるからである。
それは、同類項としての人間の愛、愛を与える人の支配権その全本質本性、男性支配下の女性の様である。
(*訳注* 男性支配下の女性の様:現在の一般感覚とは少々合わぬ表現だが…、世の感覚も少しずつ変化しているということか…)



第9話までご紹介してまいります。

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