LA SCIENZA    DEI    MAGI   魔術師の科学


対話編






Giuliano Kremmerz vs. uno scienziato   ジュリアーノ・クレンメルツ 対 科学者



ご自由にお持ちかえりください。

























































     "Ombra profnda siamo,
     non molestateci, o inetti.
     Un'Opera cosìseria non
     sirivolge a voi, ma ai Dotti"

          Giordano BRUNO

     「闇の奥深くに 我らはいる
     我らを惑わすことなかれ ああ愚かなるものたちよ.
     神のみ業はかくも信頼に満ち 汝らは
     自らを省みることがない そう それは知恵ある者たちのため」

             ジョルダノ ブルーノ




















対話 その9/9


--- 対話の要約 ---

軍神マルスと抵抗不可能なその影響力 --- 意志とアストラル界の流れ --- 中立であることはあらゆる物事の熟慮にとって絶対に不可欠な要素 --- ヘルメティズムは拒絶の真逆 --- 信仰と永遠の命の停滞 --- ヘルメスは活力の神にして形を成す --- 統合概念にある古代神話のシンボル的要素 --- 全ての糧としての科学は直接智 --- 宗教のシンボリズムとその神聖科学が隠される必然性 --- モラルや宗教は国々の成り立ちの基盤 --- フローラ、ユーノー、マルス、ヴィーナス、そしてウルカヌスの神々 --- 女神ミネルバとその誕生神話 --- 神々の名と神話としての天文学 --- ヘルメスの概念は宇宙的本質 --- 歴史のなごりと知られざる文明化を熟慮する --- 人の精神は有限なるものに循環することで限りないものを表現する --- 精神的詩情性とそのイメージ化のプロセス --- 身体の感覚は外的世界との接触 --- それは予感である --- 社会の組織化 --- 異なる価値が人類を調和させひとつにする --- 生存は過失からも生まれる --- 理解不能なのは言葉の乱用、つまるところ、それはどう解釈するかである --- 軍神マルスの影響について --- ヘルメスと話し合う

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ジュリアーノ
さあ、準備万端、何なりとどうぞ。 落ちついた面持ちでらっしゃいますね、それはあなた方の破壊的な批評という挑戦がほとんどないってことですかね?
科学者
あなたは私を認めどれ程率直であったことか、私は昨晩ある種の激しい後悔のピリピリした感情にさいなまれました、それは、私の確かな善意からの意思でしたが、それが私をせかし反論を主張し引きずっていきました。 あなたは心を冷静にその大きな宝物をもってまた穏やかでした、それは計り知れない根気と忍耐力でいらいらするまた侮辱的なこの会話にお付き合いしていただいたことでしょう。 私は確かな後悔を感じています、私の意地張りの以前の小競り合いのこと…
ジュリアーノ
軍神マルス(*訳注* マルス: ローマ神話の戦いの神)の影響があなた方に…、それは分かっています、お許しを。 あなた方に私はそれ(マルスの影響力)を暗に示した、結局はその結果です。 これは暴力的な神との神経の共鳴で、争い、言葉や理想への戦い、その行為や見解、武力です、これが優位になると抵抗できなくなるのです。 人類に備わった優位性ではあるのですが、湧き上がる多様な思考が最速冷静な判断の感覚として形成され、自身の中に好戦的な雰囲気として感じる、人はその能力で勝利しようとする。 低俗的には槍(やり)や剣、ナイフなどの武器、要するに脅しや抹殺、高位的にはモラルの侵害、とげとげしさや反抗、いこじ、叱責である。 人の活動力は消耗し、その洗練さを欠く行為に後悔し、まともな自覚に欠けていたと思い知る。 これは道徳的原理だが社会的に非難をうけるわけではなく、身体的な苦痛をうける、そんな族(やから)は、このマルスの影響に抵抗することを知らない、そんな時やって来るのは大きな間違い。 そこに現れるのが賢人、太古からのその心理学である。
科学者
つまりそのことを考え知る別の方法:それが必要だと。 私はその様な熟慮法は分かってないのですが…。 言えるのは:若気の至りでそれが分からず、反抗的な自分への自覚がなかった、あの議論でのいらいらがどれほど知る能力を傷つけていたことか。 まったくもって申し訳ありませんでした。
ジュリアーノ
それは今受け入れられているわけではありません。 私のアストラルの書庫でそれは丹念に調べられ、そこに通知され、私たちの血の気の多い交戦中のマルス神の影響がどうなるのか、昨日より今夜のほうがもっとピリピリする可能性はあります。 だからあちこちへと広がるこの様なオリンポスの神々の神聖に潜むはったり屋さんたちの行為のことは自覚し、自分の居場所を失ったり私のインクつぼを払いのけて粉々にしないよう注意深くしてください。
科学者
要するにあなたは私を罰し、昨夜の行き過ぎた反抗にはほとんど力がないと形式上丁重に扱いたいと思ってらっしゃる。 そこに気づきを与え、精査しふるい分けしたはず、厳正な心で、平和裏に。 私は、声や身振りを優しく柔らかに保ち、自ら良き社会の一員になりたいと思います。 私は確実にはあなた方の自信ありげなご意見に賛同することはできません、それは私ではありませんし、マルス神の定めの神さまが、私の魂、神経、判断に多くの影響を与えいらいらする不満の爆発に決定打を与えているならですが。 もしそれが疑問で各人の星がそのたびに天に放射発散されたなら、またその波動が人間の無意識行動を不本意に決めたとするなら、私たちは人類に関する決定的な基準を変えなければならず、つまり私たちの文明は完成されず挫折してしまうでしょう。 殺人や戦争、暴動に見られるのは、このマルス神による正当化:それぞれが善人ぶった愛情からの犯行で、責任は愛情の星のせい… 結局それでは振出しに戻ってしまう:いったい私たちは神性の何をもてあそんでいるのか、そして私たちに責任は全くないのか…。
ジュリアーノ
私も人がうぬぼれるのは良く分かります、私たちは尊大になり、理性があることで自主独立の自由という考え方を支持した、私はこれを受け入れるのには賛同しかねます、それは一面的おきてであってそれぞれの活動や自分たちに向けられた感情的趨勢だけで利を得て全てを望み庇護されるのには制限がつく ―― 実際には航海人たちが宝物を積み海を渡るに潮の流れを読み風を読むがごとしでしょう。 私はあなたには公正に対処することを強くお勧めします、何ものにもとらわれず新たな物事へと踏み出す、一般通念の前例がどうだとかでなく、また公共の何があなたたちを先入観で武装させているのか、これでははつまり偽物の科学ドグマです、そんなものは本当に守るべき正しい意味や価値をおとしめるものです。
科学者
私たちは学校で学んだことを拒絶することはできない。 この文化として蓄えられたものは、科学や哲学的進歩の最終表現として提供され、およそ全ては人類の知的努力の何か、20世紀の文明化を決定づけたもの… それはより完全で完成可能なものです。
ジュリアーノ
あなた方の「それはあり得ません」、理屈に合いません。 私はあなた方を拒否してるのではありません、言っているのは何ものにもとらわれず中立的に考えてくださいということです:宗教教義の様に独断的になったり学士の称号を得て卒業するとかのことではなく、疑わしいものと良識的判断とを取り違えないようにして欲しいのです:誰にでもこの様に自分を思い違いさせることはあり得るのです。 私の理解ではあなたの様に博学な人たちには、この様な敬意のなさで疑問視されるのはどうかとお思いでしょう;しかしそれはまことに権威、精神的利己主義で、検証なくして真理と同一視することはできないのです。 それを書いた錬金術師は自らをルペシッサ(*訳注* 14世紀フランス王国の神学者 預言者 錬金術師. 数多くの預言に満ちた書物を書いた罪で14世紀半ばに獄死した)と称した、彼の肉筆には、彼の様式と当時の表現がしのばれる:もし人が何かの入れ物で、たったひとつの何かによって満たされているように見える組織なら、それはふたつの何かで満たされているのではない、ゆえに他でもなくひとつの何かによってと言えようが、それが何かを見た事のない石(ルぺ)には信じることはできないのだが。 この人間の隠れた能力を補足するものはありません、つまり人間のこの中身をチェックし分けるものは何もないのです。 拒否しますか? しかし私たちは何も反目し合ってはいません、お互いの反目は霊的なことで、この魔術的ヘルメティズムは全て埋蔵品、科学にとっては愚かな言動愚行でもあるのです。 中立性は、物事それぞれをチェックし熟慮し調律します、また実践的心理学や魔術のそれでは、絶対に欠かすことができません。 全ての現代科学の中立性は、古代哲学、自然界の物理的また超物理的な力、概念、全ての時代の最も深遠な哲学の直感が融合した実体(統一体)が存在することを予見しています。 私にはそれは博学の神父セッキを思わせます、彼はこの種の課題の予見書を執筆したその走りでした(*訳注* セッキ 1818-1878 はイタリアの天文学者にしてイエズス会士. 恒星のスペクトル分析や火星運河のスケッチをした. その後の火星の研究で有名な同国の天文学者 上院議員でもあったスキアパレッリの火星の canali 溝 が英語の運河の意に誤訳されたことで火星の運河論争のきっかけとなった. さらにその後に英国の H.G ウェルズのSF小説 宇宙戦争 が 1938 年に米国でラジオドラマ化された際には 火星人襲来の迫真さに多くの聴取者が実際の緊急報道番組と勘違いした事件まで発生した. 現在人類は火星移住を目ざすようになった. )。 自然界における超物理的な力のそこにあるものは… 愚かな言動の先走りそして人間の誤った科学:人の愚かさ、異端、馬鹿げた行為、際限のないほらでできた傲慢な財宝、あるいはまた物理的異端的な治療が規範となること…、恐怖の力拒絶宗教の誕生、言い換えればおよそ全ての宗教は、その時科学的な仲間意識が自らに課され、賢人たちに同時に合意がうまれ、革新者たちそれぞれの相反する斬新(ざんしん)の道への歩み出しは閉ざされることになる。 私たちは何も拒否し合っているのではありません;これは純粋に謎であり物的な探求の罪を受け入れないからで、人間を統合し再構築するためです。 私たちの心が平穏で澄んでいれば ―― その魂の状態によって物事を既成概念や先入観なしに精査するのです ―― あなた方は、古い見解と新たな可能性を底辺とする三角形の頂点に自らを置かなければなりません。 古代ローマ人たち私たちの祖先のことを思い出して下さい、彼らはローマへとやって来た東洋人聖職者たちを笑っていた、神への妄想で何もしない、と。 つまり全てが拒絶され、そればかりか古くさい矛盾した理想の事ばかり考えていると受け取った、が、それこそが精神的な科学的な無の状態です。
科学者
しかしこれは常に難しい行為で、中立的見解を信頼し信じるという大胆さでもある、なぜならその考えが浮かんだ時それが自分に肉体化され体現されることで、それ以外ではないからです、吟味し話し合っているのは、これを感じ生きるということ。 どの様に自分は旧態依然を、原初的根拠なき推測を前に動揺せずにいれるのか、何が確かな天の采配、我が主人なのか、それは平穏で静かか、あるいは自分をいらいらさせやすく、優れた能力を引き出す規律を壊すものなのか?(*訳注* 科学者はここで占星術的な表現で自分の状況を表現しようとしている. 後のジュリアーノの占星術の話しへとつながって行く. )
ジュリアーノ
踏み外さない様にしましょう。 自分の見解を信じることとそれを共有することとは、同じではなく、冷静な判断によります、他の全ての見解とを同レベルに置き、見解に耳を傾け判断すること、科学的立証に達することです、それでこそ実際的見解となります。 無用な言葉で振り回されることのないよう、ここは占星術のことについて語らう機会のようですね、こんにち他国市場では誰も分からない方法で乱用されています、群衆は幻想に陥り、その原理を吹聴する者たちには何の理解もなく、ただ古くさい司祭の占星術をそのまま何の変哲もなく教え、何のインスピレーションもない。 我々は自分たちが何なのか思い出す必要があります、私たちはイタリア人であり共同体の教えや知識にあって、盲目的に信じてしまうことはないのです;もし私が単純な人間だったら、ここであなたと議論することはないでしょう、信仰は押し付けではありません、それは信じやすさの傾向の問題です、これはあなた達にとっても精神医学的な基本課題です。 あなた方は当初表明されたアイデアに反対はしていませんが、当初どう考えどうなって行ったのか、それだけの理由で、再び能力を得て判断基準や命の概念は変わったかもしれません。 それぞれが新たにされ、全てにおいてそれらが秩序づけられ、精神的、あるいは実際の命の哲学や科学的アイデアが当初の瞬間の何かを明確にすると、それはとても居心地が悪くその人にとっては、これが物事を決して間違わない習慣的評価だったと気づくのです。 時の移ろいの中、全ては変化すると考えてください、全ては変わる可能性があるのです。 新たにされ続けること、それは原動力です。 この原動力や動きは、それぞれの刷新の基礎で、これは物質界にも人間の精神の中にもあるのです。 今日のサイエンスは昨日のそれではないのです;進歩し停滞しその知識は深まる、過去の過ちを理解し真実の一端をとらえていたのはその知、価値もないとすでに無視していたはるかかなたの時代にあったもの。 年老いたアイデアは新たな装いと共に提供され、刷新される。 あなた方の決して間違わない実験室の今日には、明日の新たな実験室の試みによって再検討がもたらされるでしょう。 もしそうでなかったなら、物質界の命や人間の精神は幻惑され淀み、絶対に間違わないギデオンを中心に例えた太陽の如くに止まったかもしれない。(*訳注* ギデオン:は 聖書の中では仲裁人を象徴する人格者や指導者を意味する. 辞書によれば審判 破壊者の意味もある. ジュリアーノはここでは対話相手の科学者のことを暗に言っているようだ. ) これは幻想の航海への船出、人類の大きな完成への力となりうるが、反面でその俗悪主義に理想や共通の場を自ら失うことになるかもしれない、受容と繰り返しに支配され、これらへの検討は失われる。 それらは神聖化され楽園の中の神と化した、我らの永遠の汚れは少しばかり清くされ、盗み取ったその石頭の何かが永遠にうずき続ける。 これがその永遠の命として居座り続ける、東洋でも西洋でも時とは関係のない永遠の、永久に続く不変と変わりようのないこの謎が存在している。 これはヘルメティズムに始まり、ヘルメスすなわちメルクリウスの原動力に取り込まれている、物事のこの宇宙の命にとって必要なもの;ヘルメスは形の創造者にして、死せるものたちと共に寄り添いこの命に復活するためである;ヘルメスは原子、分子、イオン、電子の動きの中にあり、決して消耗せず、常に変化し続ける絶え間なき驚異にして想像も及ばぬみごとなその中心には、永遠の時の振動があり、その原動力として引き継がれている、すなわちそれが命の振動である。 そこに鎮座しているのがマルスの神、親しくもいらいらしもする友にして気難しい怒りんぼさんの神、その容貌の下の仮面は、少々異なり、まことに太古の宗教の神、しかしそのエネルギーと反応が人に呼び起こされる、自覚的かつ野獣のような無意識として、その追求と気まぐれこそがその影響力である。 あちこちで私が古代神話を弁護する記事を書いた時、私の耳に鳴り響いていた確かな説明を、学校の教授たちは、その古代宗教の一連のシンボルをパルナッソス神殿の何かのがらくただと思い蔑視していました、それら民衆や国家の文化へのイメージは、隆盛し没落し何世紀にも渡り偉大な活力をもって確かに存在していたのです。(*訳注* パルナッソス山にはギリシア神話のアポロンや学芸の女神ミューズたちが住んだとされる. ) まさにこうした理由で野蛮が強調され、初期キリスト教は何世紀にも渡りこれを拒絶し逸脱した、これを組織的に野蛮のせいにしたことで民衆も依然ほとんど学ぼうともしない、これらの宗教的シンボルにはミステリーと未知の意味が満ち満ちている、何かが今日にも意味づけられ様々な要素が提供されている、依然それらは形を成さず、中央アフリカやオーストラリアの島々の未開部族には今もそんな野蛮があると信じられている。 私にはどうして現代の批評システムで武装された研究からこれがこぼれ落ちたのか理解できないのだが、フレーザー(*訳注* ジェームズ フレーザー 参照 : 対話2ウィキペディアのフレーザー へ)が、原初の未開社会に何を探求したのかと言えば、それは同時代の私たちの市民化で、その成り立ちは非常に明らか、古代の人たちの神話全てには同様なシンボル要素があり、つまりイマジネーションに満ち湧き上がるのはある種の根源的一体性であり、私たちには知られていない歴史的な何かの物語である。 歴史的比較研究自体は充分行われているが、その謎は解明されてはいないと私は思う。 もしあなた方が私の話をあくびせず聞いてくれるなら、言いたいことは、直感的にそう思えるってことだが、古代からの宗教のシンボル的なものは常に人格化の原理として描かれ、民衆の百科全書的な知恵として与えられてきた何かだろうということです。 物理、化学、哲学、自然の秘密など、この自然界の力の影響あるいは地上や宇宙のエネルギーの不可思議は、全て物語や宗教的象徴として描かれた原理の内にどこにでもあるもので、消滅した民衆や現在私たちがなぜ存在しているのかとの疑問として何千年にも渡り存在してきたものだと私には思えるのです。 さらに、これらの太古の人たちの残した遺跡や書物を読むと、それを調査した人には、その歴史や考古学のことを忘れて、私たちが汚れた心理状態で生きているが、古代人のメンタリティーは全くそうではないと分かるのです。
科学者
私はこのあなたの仮説、つまりこの率直な疑問に興味をひかれているのを隠す必要はないです。 あなたは私を不思議な可能性の興味深い新たなヴィジョンへと導いています、そこにははるか太古の他の博学な人たち、他の科学者たち、他の人種の人たち ―― 要するに ―― 私たちの様な人たちが、今日私たちがしているのと同じことをしていたと。
ジュリアーノ
今日それは科学であり、全ての人の糧(かて);その進歩は人を共同体にし、それが浸透してきている;それは、神や死を前にした平等であり、それは成り行きとして平等へと向かい、味わい理解することに直結する、物事をわきまえるその様な生まれながらの素質は習得される物事を実際に完成することになる。 皆さんも電灯を作ったり、小麦粉を挽いたり、毒ガスなども作れ、マラリア熱を治療し、要するに自分も同じことができ、それを知ることもできます。 ですからその様な人種の基本的心理が何なのか、あるいは当時の人々が少数の権力者の支配を受けていたのかどうかなどの精神性、知性の微妙性を科学的に知り把握している人など誰もいないでしょう! つまりこの彼らのシンボリズムはしばしばその宗教にとっては闇であり、その鍵が理解され歴史へとつながることはできなかった、ゆえにそれが彼らの物語でありそんな力学が生まれたのでは? またこれは庶民たちや近隣諸国には知りえない必然的宿命であったに違いなく、当の人たちにとっては武力的衝突になり得たものかもしれない? モラルや宗教とは、親愛なる友よ、どの地域の国々どの時代においても、国家成り立ちのふたつの基盤なのです、しかしこれら2つの言葉を理解するのは困難です、なぜならこれは非常に多様で、様々な時代や地域によっても異なるからです。 もし火薬を発明した修道士がそれを司祭にだけ明かし告白、司祭も教皇にだけ明かし、もし火薬が聖母教会の誰にも知られていない秘密になっていたなら、今日の世界は違った様相を呈していただろうし、ローマが略奪されたり、陥落したり、ひどい目にあうこともなかっただろう。 今日のモラルは、30世紀も前のそれではありません。 ファラオ時代の社会は、その後のアレクサンドリアやスミルナ(*訳注* スミルナ:トルコ西部の港湾都市イズミルの古代ギリシア語の呼称)、ゼノン(*訳注* ゼノン:古代ギリシアのストア学派の哲学者. 道徳を善とする哲学を主張した. )の時代、そしてタルソスのパウロ(*訳注* タルソスのパウロ:古代ローマの属州都タルソス生まれのパウロ. 初めはイエスの信徒を迫害していたが回心してイエスを信じる者となり 西欧文明の源流である古代ギリシア文化のヘレニズムを世界に伝えた. )の時代のギリシャ諸島の社会とは異なり、今日のローマやジャワ島(*訳注* インドネシアのジャワ島:現在宗教はイスラム教徒が8割以上を占めるが様々な宗教が混在している. )の社会とも同じではありません ―― これが宗教という言葉の意味です。
科学者
分かります。
ジュリアーノ
私の理解の仕方をあなたに説明したいのですが、神話の中に何があるのかです、古代を理解するのに最も近い方法は、ギリシア-ラテンのシンボルの読み方です:ざっくりとそれを感じ現代の知見でどれ程その理解が可能かです―― ええ… もしお疲れ出なければ。
科学者
いえ、むしろ興味深いし楽しんでます。
ジュリアーノ
この人類乱闘のご先祖さまから始めますが、これがマルス神です ―― そしてマルス神が昨日ちょっと興奮しました。 その神さまが神話を語った、マルスはユーノー(*訳注* ユーノーは〘ロ神〙光と結婚の女神で最高神ユピテルの妻. )のせがれで、ユーノーはサトゥルヌスの娘だった…
科学者
それは私にとって、嫌な感じで居心地悪い神様だ!
ジュリアーノ
またユーノーはユピテルの妻でもあり、ユピテルは最高神、雷電神である―― 電気と電光の稲妻:ご先祖さまユピテル神の雷鳴であった。 普通に解釈すれば、ユピテルが稲妻を発したと解釈でき、それによって人々はそこに嵐を見ている、そしてそれが人間の群衆というもので、この気象のような力を人が本当に扱っていたと信じなければならなかった、その力は全ての人のご主人さまだった、と。 説明としては初歩的ロジックです。 しかし私に説明できることとしては、非常に似通ったことも想像されます、何かその能力は科学的には電気と関係し、宇宙の根本原理たる一者(*訳注* 宇宙の根本原理たる一者:原初ではUno:古代ギリシアの哲学者プロティヌスが主張した哲学的概念. uno はイタリア語で数字の1の意. )がつかさどり、それがつかさどるカテゴリーの特殊な力だったと…
科学者
それが万物のご主人さまで全てを貫いていた;興味深い仮説、素敵な想像ですが;しかし記録があるわけでもないし、何か示せる要素にも欠けています。
ジュリアーノ
これにも言い方があります。 もし遠くの音や遠くの絵が今日電線なしでつながれ、また照明や暖房についても、さらに今後30世紀先に人類が激変し新たに歩んで行ったなら、皆さん私に教えてください、31世紀後には誰かが、この電気の科学を私たち全員が今持っていたと、つまり油もろうそくの芯もなしで私たちが理解していたことを、実際にそこの若者たちの誰かもすぐに点灯し輝かせたかどうか、この証明を教えてください、とね。
科学者
仮説は、雲をつかむようで、砂上の楼閣;その仮説は可能かもしれませんが、示すことはできないし科学的でもありません。 おっしゃってる事は夢物語で奇想天外、まあ仮説であって科学的には明らかではありません。
ジュリアーノ
それではマルスの話に戻りましょう、このご婦人はユーノーさまで、ユピテルさまの正妻、つんつんした性格でしてね、お騒がせ屋さん、嫉妬深くねたみっぽい、落ち着きのないいらいら屋さん、であるから立場を忘れ、わめき散らしていました、どこかの洗濯女みたいに。 オウィディウス(*訳注* 古代帝政ローマ時代の詩人. )は述べている、ユーノーは怒っていた、なぜ最愛のご主人さまが私を置いて勝手にミネルヴァ(*訳注* ミネルヴァ:ローマ神話の知恵の女神. )をもうけたのか Necleto conjugis usus、と… 要するにお妃(きさき)さまとは関係なく夫が子供をもうけたがゆえ。 それでいらいらしたユーノーさまは相談しにフローラさま(*訳注* フローラ:ローマ神話に登場する花と春と豊穣を司る女神. )をお尋ねなすった、仕返しの為に、それは夫や他の男の助けを借りずに子供を産むことでした… ユーノーは叫びます:もし彼が私とは関係なく産んだとしたら、cur ego desperem fieri sine coniuge Mater(*訳注* ラテン語 オウィディウスの叙事詩の中の一節:---なぜ私が夫から見捨てられみじめにならなければならないのか?、と…。 フローラさまはそれを聞いてお喜びになった、なぜなら地上の花々の中で、そのお方は素晴らしいお生まれの方だったからです。 誰かがそれを知らせたのなら、そのお方は、素晴らしい方だとのお知らせだったのです。 Qui dabat: Hoc, dixit, sterilem quoque tangem juvencam Mater erit: tetigi; nec mora, mater erat.(*訳注* オウィディウスの叙事詩の中の一節:---誰か/何かがささやいた:それが申すには つまりそれが子供を産んだことないめ牛に触れると母になるだろう するとすぐに母牛になった。 この様に花がこのめ牛に触れると彼女は身ごもった、フローラが花でユピテルのお妃に触れると彼女のお腹がふくらみ始めたのだった、そこに宿ったお方はいささか彼女の様に落ち着きがなかったが、最初の月から論争好きで生意気な性格の賢さも与えられたに違いなかった。 要するにこのご子息さまは、ユーノーさまの子で一輪の花だった! あなた方の肯定的科学の顔が探し求めるこの幾重にも油が上塗りされた手のつけようのない花、要するに大衆からは離れた問題で、そんな夫たちは妻たちからは悩まされるのであって、解消のために叩かれるのが落ちである。
科学者
もしこの様な物語や神話が、本当にこの様だったなら、人々が語る人生はもっと楽で障害のないものになるでしょう。 私たちのフローラは、この精華を知りません。
ジュリアーノ
という訳でこの植物学の研究は気持ちよく他の植物学者たちに任せるのが良く、我々はマルスが論争好きけんか好きな力から来るもので、その物語は記憶に残るけんかの事件簿として語られ、今も不貞の愛人ローマ神話のヴィーナスへと変わった!(古代ギリシアのオリンポス山においても女性たちは兵士や戦士に弱いのです!)ということにしておきましょう。 そしてマルスは火の神ウルカヌスと美の女神ヴィーナスとの謀略のわなにはめられたのだった。 それでより辛辣(しんらつ)になった… そしてマルスはそれを克服する運命を背負い、戦いと争いそして人類間の論争の種を人類に投げかけた。
科学者
ありがたき歴史的ご教授の物語ですが、あなた方がその中に見た実体には、いったい何があったんでしょうか?
ジュリアーノ
この花によってお生まれになった女神さまは、つまりこの様にその植物学的な香りをまとい、先祖からの素性(すじょう)を引き継いでいる、それより前の古代ギリシアのオリンポスにおいては、最も激情的、けんかっ早い、金属的な性質が神々に与えられていた。 それだけでなく、もともとのその生まれは、ユピテルに対するユーノーの反応からであり、ユピテルがミネルヴァをもうけたことに起因している。 ユピテルはミネルヴァを頭から生み出した。 ウルカヌスは、ユピテルがユーノーをもう受け入れなくなると、斧の一撃でその頭蓋骨を開いた、するとこの女神ミネルヴァ(*訳注* ミネルヴァ:知恵 戦争 芸術の女神. )が美しい光と共にやりと盾(たて)を手に現れたのだった。 人々はミネルヴァは知性の女神だと言いますが:そうではなく、武装した思考で、エネルギーとしての思考であり単に知性だけではありません、意志をもった創造者、意識的に外在化し影響を与え統治支配します。 概念としてのそれは、エトルリア(*訳注* 中部イタリアの古称、参照 が起源だったはずです。 ギリシャ神話の女神アテナと後に同一視されるようになったのは ― 不自然な一致 ― ミネルヴァであり、行為の中に生き生きと息づくイデア(*訳注* イデア:観念や理念 理想. )であり;その武器は防御と抵抗です。 Minerva dicta quod bene moneat(*訳注* ラテン語:ミネルヴァは告げた それは良きアドバイス ) 祝福を告げた。 この様に全知の光は私たちの中にあるもの ―― 武装された時の中にうごめき突如として爆発する:ユピテルの中の神聖な光、神の警告(それは神からの戒め)であり魔術師の進言 ―― として産みだされ、行為の中の知恵である;これが実現される理想である。 ミネルヴァは医術の女神(*訳注* 参照 Wikipedia へ にしてその殿堂、祈りそのもの、慈悲への願い、癒しである。 私がMyriamミリアムについて言う時には、医術の女神ミネルヴァのことを言っています。 (*訳注* Myriam の名を配したジュリアーノの医術研究組織は 第一対話の冒頭で紹介したメルジェ氏からその甥である人物へと継承され 今も存在している 2025年 ) もしかすると男性神ユピテルは、希望の光や癒しのこの女神 ―― 女性としてのユーノーとこの裏切りとを結ぶ徳の力(*訳注* 徳の力:イタリア語で virtù )すべて ―― の創造神かもしれない、つまりそれが自然な道筋で、その何かが女性の誰をもひとつにし、まったくもって自然に子孫が与えられているのかもしれない、そしてこの男はミネルヴァの善良なところは何も実際見ていない。 Vir ヴィル(*訳注* Vir はラテン語で男の意. 直前の virtù ”徳の力”と関連させて言っている. );とは男、たくましく強健な、防具をつけた、これらは血気盛んな動乱の親分さまになる、それは憤怒となり、激怒や破滅のもと、血と破壊と死なのです、これらはその意の言葉、呼び名であり、その種のイデアである。 これはブロッツィ(*訳注* ジュリアーノと同世代の彫像家 絵師らしいが定かではない )にとっての古代ラテン語の中の語源についての関心事で、この Ma マ の語源を探求し理解しようとしていたのだが;基本的には、分かるように説明すること、わいわいがやがやとたたえること… Mars マルス、Mar(t)s マル(トゥ)ツ これが最たる例、名声と感嘆、これが戦いの神で、民衆にとっては戦いの後の勝利、この上なき高揚の一体感だったのではないか? しかし私にはこれらは、耕作地の管理や規律、言い分も多面的であるということなのではないかと…
科学者
全ての人たちの中にはこの未知の書があり、世界はこの図書館である!
ジュリアーノ
全員ではありませんが ―― そこには非常に珍しい本もあり、あらゆる時の中、脳のその一角に整理され、全ての出来事が保管されている。 誰でも頼めば本は開かれ、必要に応じて読まれ、そしてまた本棚に戻される。 私が知ったある男はアレタイオス(*訳注* アレタイオス:古代ギリシアの病理研究者らしい )の著作全てを保管していましたが、そのメモや知られていない記録 ―― この中には、神聖な多くの神々の名前の語源なども記されていました。 マルスは、かぶと剣と盾を手にした神の姿に対応している、これら最古の神話全てにこれが現れます。 これは、エジプト ペルシア カルデアの国々の宗教的なシンボルのマルスで、それぞれに名前があり、別の姿と表現がされている;それぞれの風土でこの神さまは多様な姿をを持ち、実際その地の自然の力を反映していたに違いないのです、それは実に特別な野獣のような何かの実体の状態その影響力、その種の皆にとっての様々なレベルの魂とでもいえるものを反映していたのです。 あなた方はよく笑いながら尋ねます、本当に私たちにはそんなスターたちが人類や物事に強い影響を与えると信じているのかと。 あなたは笑ってないですね。 その問いであなた方が望むのは、つまりあなた方が成しえることだが、単純な判断力では、この天文神話の神々の名からは何も理解できないし、これにはユダヤの一神教の何かが先行しています。 これらのきら星たちは当の天界の神々と化し、もしそれについて問われたなら、それよりはるか以前から、この地上の澄み渡った夜を照らす陛下の卓越のようにそれは祝福されることでしょうなどと、言われるのがおち…。 これらはアストロ(ン)、と私は呼んでいる、物質であり天文学の基本要素 ―― 確かにそれらは従属的な中心として存在し、さらに他のもっと大きな実質と複雑多面的に入り組んでいる;惑星の衛星や小惑星、大小の惑星、星や太陽、見える存在や見えない存在が形成するその鎖がこの世と宇宙の様々なものとを調和させている、これは既知のまた未知の コズモ 万物である。 それどころかこの調和には限りがなく、直感的でもあり、その荘厳さは計り知れない、これは分断も細分化も断片化もできないもの。 概念としてはヘルメティックで宇宙的、一体化した存在であり、その全ては不可解としか言いようがないものです、その姿を何とか表現したとするなら、人の精神が考えうる何か、理解したり疑問を抱いたりすることができるイデアかもしれない。 これは絶え間なく続く力、その何かを人は手にし創造されしものに統合させる、この言葉にすることのできない偉大な作り手の原動力としての行為の中にそれは捉えられる、それは存在実在、現実であり思う様にすることはできない、その何かが私たちに五感や器官を与え言い表すことのできない洞察力、人のサイキ(*訳注* サイキ:プシュケー. 人の霊魂 )を構成している、この力は潜在力影響力としての普遍性万能性であり無限に創造される原子や分子へと下降し生命の法則の中の何かとして新たにされ、最も貧しき全ての表現にも自らを目覚めさ続けている。 ここ地上もあの天上のごとしである。 これらの星のエネルギーは未確認だが、それぞれの太陽が他の星々と連係しながら周囲を回る様にさせている、つまりこの太陽系は未知の軌道を移動し、他の太陽たちの系へと流れている、私たちはそれらの系を支えかつぎながらそれを習わしとしつつも気づくことなく、この磁気や電気、この地上の物質の重力の法則などと共に動いている。 これらのオカルトチックな要素の本質を知らなくても、その反応に私たちは気づきます、この影響や行いは個人へと及んでいて、私たちはそのセンシビリティーや精神それ自体の能力を通して、魂が理解し分析し、自ずと知的な言葉へと導かれる:この能力は事実として確認される現象を理解する能力です、現象をいまだ理解していなければ、それらは私たちの感覚が反応するよう印象を与えています、ですから私たちにそれは現れて来るのです。 この宇宙的な活動(力)がなければ、この極大なるコズモに比べ私たちちっぽけな極小粒子たちが存在するなど、全く理屈に合わないのです。 もしこれが自然の超越的エネルギーで、これが全くの壮大な力だとするなら、それを私たちはマルスと、あるいはその繁殖の活動力をヴィーナス、あるいはまたその発散力をユピテルと、またそこにある死の刷新力をサトゥルヌスと呼んでいるのかもしれない、そんなきら星たち アストロンたち を知恵の持ち主だと疑うでも信じるでも何かの魂と言うのでもなく、移り気な気質がその特殊な影響力だと満足するのでもなければ、何が意志として湧き上がり、炭酸水の注ぎ口からのようにほとばしり出ているのか…。
科学者
あなたは私を信頼してくれています;どんなに私があなたの説明に偏見を持とうが、理解は広がり、最終的には確かに正しい主張へと変化するよう、言葉巧みなその考察で、私の知識や研究の矛盾を導き出し指摘してくれました。
ジュリアーノ
私は自分が示すこの理由、到達点から逃げずに自問し続けなければなりません。 新たにあなた方とのこの会話を始めた目的は、古い迷信的形式や本質的なものとはなり得ない言葉を探し出し分析し、何が魔術師たちのこれからの世紀を満たし永続しうるのか、また魔術もどきとなるのか、そしてヘルメティズムを探求し再構築する文字通りの言葉を築こうとする全ての人たちこそが、現在のそして今後の豊かな想像力を築いていくことでしょう。 古い経験だけに頼り教訓や寓話を掘り起こしても、徹底的研究をする能力には欠けており、これを繰り返し押し広げて行くことにはならない、高度な市民活動や科学は、つまりあなた方が、疑問点なく私の正しさには間違いがないと感じることだと信じます、どれ程その見解、古い形式の魔術の特徴にたとえそれが一致しなくても、最も高度な研究へとつながり、人類智の他の領域、人々へとこれは枝分かれしていくのです。 素晴らしいこの本質の魅力が、最も疑い深い人たちの魂にも影響を与えます、不意を突いて(習慣的?なのか、信頼に関わる不思議の迷宮に自らを失う恐怖?からなのか)正規の重大分析が、科学者たちの研究や思慮深さに生じくるのです。 そんな猛威を振るう影響力が展開し進展する限界点や空理空論の目的は刷新へと及んでいく、それは人類のはるかに及ばない過去や歴史、歴史以前を見据え、その目は皮肉にもはるか久遠からの円熟へと及んで行くことになるが、そこに哀れみや同情はない、これらは自らを慰(なぐさ)む揺籃期であった。 私にもあなた方にもこの分析を誤る可能性があります:この可能性において私たちはみな本当に注意深くあるようにしなければなりません;ですからもしも人類の過去に揺籃期がなければ、その後の歴史が豊かに開花したと気づかないのではないでしょうか? これが私が50年間記(しる)し、どれ程語ってきたかしれない訴え続けているイデアです。 もし少しでも立ち止まり、この宇宙の無限創造のコズミックな構造について、創造されしもの、創造されてないもの、あるいは創造途中のもの、それらイデアを想像し理解しようと試みるなら、人間の心がそこに到達するのは不可能であり、何がこの無限を有限と関係させているのかは理解しがたく決定できるものでも想像して限定できるものでもないのです:それは異なる多様性自体にも存続しているものであり、言わば空虚なる無力、底知れない精神の深みに探りを入れること、狂気に接することとなり、概念として捉えることは不可能なのです。 人間の言語 ―― 言葉は社会生活や人間関係に奉仕するもの ―― しかし人間には正確な精神状態を伝えることのできる用語がなく、一般感覚的コミュニケーションの習慣外ではお粗末なもので、身体が要求する日々の生活でもぎこちないものです。 このごく普通を意図する認識の向こう側に直に接し役立つのは、詩的な精神や心の能力であり、芸術や光、音や色などへの交響曲のようなイマジネーション力、言葉のどこか普通は異質なその様なものとの共通感覚で、もしもそれが取り込まれ慣例化され結びつくとその言葉は交わされ、飛び交い、あふれ、要するにあなた方の知らない気づかない部分や分野、もっと高度なもっと洗練されたより純粋な領域が生まれることになります。 この様な芸術家や詩人たちは、自身の中にこの通常とは異なるシンフォニーの様な要素を持ち、この感じることのできない何かを探り、そしてもしこの芸術家や詩人たちがその神聖の高みから降り立つことがなく、パンやハム商人たちの袋小路に、この雑踏の異論の中にいったい何が定まれば、一般感覚のこの様な場所を歩くことができるでしょうか…。 この影響力は驚異的でそのイデアは、人間の自覚や良心の中にあり、特にこれは大衆が精神的に未発達であったからに違いなく、この理解という点では、命の森羅万象や宗教的神秘を理解していないことにある、人間の存在にとって何が絶対に必要かといえば、それは無知を畏れること ―― 無知とは、知らないことの意味がわからないということ、要は無理解である。 人間が生に執着するのは、およそ私たちが不死ではないからで、これは地上の物質界でのこと:ピタゴラスは再生の変容についての中で、それを確かなイメージとして教えていました。 私たちの感覚は不完全で大まかです、印象としての作用だけをみても身体的に一定の数の物事に制限され、その何かが私たちに接触しています:私は接触と言いました、なぜなら肉体の五感全ては私たちの外界との接触感だからです。 これは何かが見え、感じ、味わえ、聞こえ、触られることで、私たちの外のものが近寄り私たちの中に取り込まれるからで、そこに取り込まれるのが接触による認知した事柄や認識、触れたという感触です。 これはヴィジョンそのものであり、対象の何かが私たちの一瞥(いちべつ)に現れた状態、光の振動が当たればそれが入って来て動物の受容体の器官に自然に接触してきたということ、その受容器官は目です。 この器官にそれが不完全にか自然にか接触してくるとすぐに、この接触は変化して出て行き、変化しながら伝わっていく;眼科医たちが列挙するのは、私たち視覚の様々多種多様な事象の丸ごと全てだが、当然それには不完全で偶発的なことが生じているに違いないのです。 香りの感覚は鼻粘膜に息の物質である原子や分子の発散物が接触すること;聴覚は視覚と同様に音波の受信器官に;味覚はもう説明の必要もないでしょう。
科学者
それからあなた方の説明は、概念としてまとまっていてシンプルです ―― にもかかわらず確かなイデアの異なった形式としてしばしば繰り返し説明され ―― その概観も失われていない。
ジュリアーノ
確かな質やそのイデアの一般的重要性のために、私はつかの間、大切な感覚を与えるため、しばしばその様な言葉使いをします。 人間の言語は、話し言葉であれ書き言葉であれ、その使命は、考えの本質や理想を話を聞いたり読んだりする人々に伝えたい考えとして明確に伝えることで、すでにあなたとはお話ししましたが、人々が不安がっている主題がどう扱われているのかということです、この言葉使いというものは生きもので、日常であれ、実用においてであれ、いついかなる時であれ、これで十分とは言えないのです。 言葉は、身体の特定な欲求に直に必要なその範囲を超えるやいなや、精神的な概念等の提示は不可能になり、芸術家やこうした魂を持つ人たちの精神や知性など、より洗練された力を持つ人たちによって理解され昇華され描かれ、他の人たちには見えも理解もできないその何かに芳(かぐわ)しき香り付けがされることになる。 これには音楽や絵画があり、言語表現を越えています、詩には音の調和がありその言葉使いが理解を呼び覚まし、理想領域、より洗練された形にならない印象や気づかない何かを意識させてくれます。 ギリシア神話の女神ミューズたちは最も偉大な神ユピテルの娘たちでした(*訳注* ユピテル:ローマ神話の最高神. ギリシア神話のゼウスに当たる. )。 同様に人間の精神の感覚も限られ、人によって様々です、この様に地上の人間の知力もみな異なります。 これは言わば予感のようなもので、人の本質にはこの様な占いめいたところがあり、万人に共通している、(なぜならそこは自然の神々の住み家であり絶え間なく響き合っているところ)、しかしこれは本来の力ではなく、その構造がより洗練された精神組成の人体であることで、単純にシンボル化された神々との関係を読み解くことで可能となるのです。 すでに述べましたが人の意志は、一連の階層や組織などのそれぞれの範疇(はんちゅう)の精神に限定され帰属していると言いたい、つまりある種の知性でまとまることで、その時の社会生活で必要な概念に反応することができる、自らに現下の立法者となり、これら無数の意志を明らかにし、ともに立ち合い現時点での最も込み入った考え方の状態にバランスを取り配慮していかなければならない。 これは住人たち、家族、階級の機械化であり、仮にもこれが高位的精神によって受け入れられると、国家やその状態、生命や組織の機械化が促進されることになるが ―― しかしこの様に、組み上げられた人々が社会や人種を組織することを、あなた方はこれには巧妙さが必要だと何も理解していないし、これで、個人が機械化によって本質的真理に達したと言えるでしょうか? 私たちはみな神のみ前に平等だと言い、人々は宗教を語っている、王も貴族も、哲学者や職人たちも ―― このように人は深く信念をもってそう信じている、私たちはみな死を前にして平等であると、たったひとつの理由だけでその目を閉じ、私たちは自らを死者の範疇に置いているのです。 私たちはみな法の前に平等である、は、本質的な詭弁で、軽薄な人間が、我々が、神や死によって創造された後では、要するに平等だと思い込む。 しかし実際には確かに、機械化された社会や宗教自体も異なり、その想像力にもグラデーションがあります、これが人間をまとめひとつにする価値です。 レーニン(*訳注* レーニン:1870-1924 ロシアの革命家 政治家. 史上初の社会主義政権を樹立した. )には墓があるが、それは私たちには決してない国家の墓である、物質的崇拝を捨てた超人の…。 ナポレオンの墓には歴史があり、彼の死後の世紀においてさえ軍団に魅せられる人たちがいる ―― ダンテ アリギエーリ、ワシントン、マルクス アウレリウス、ネロ、クレメンス7世、アレッサンドロ ヴォルタ、ミケランジェロ、ラファエロなど、彼らは同じではないが、本当は同じで通りの角の食料雑貨商とか商店主、神の前に平等でも死の前に平等でもなかった、国家の法の前に平等でもなく、それは私ともあなたとも違い驚くほどに違う、もう述べた尊師らはこの様だった。 私は知りたがり屋で地味な思想家、少し愚痴っぽい人間ですし、エジソンや自動車を大量生産する製造業者、また聖アウグスティヌスの様な歴史経過を、人は私に期待するだろうか。 アウグスティヌスら要するにこれら賢い人たちが何を示しているのかと言えば、それは人間の本質で、同質、紋切り型のひとつの型にまとめることはできないということ:この統一性には、実際同じではない何かの過ちも潜んでいる、そんな何かが形成しているもの、それが階級やクラス、人類のカテゴリーといったものです。 キリスト教徒、社会主義の誕生の起源にはこの誤りがあり、そして衰退している、何かがこの様な考え方の機械文明へと衰退し20世紀への端緒となった。 さらにこれが私たちの中に持ち越され残存し、またその過去の教えの過ちや時の教育もが世俗に反映され、宗教的教えの重荷を人は何世紀にも渡り引きずって耐えて来た、いったい何が私たちに先行し存在していたのか。 そして今日でも同様にもし誰かが、「Mondo Invisibile 不可視の世界」についての本を書くとしたなら、まず大衆が印象で話し議論したいのは、死者の魂や霊また悪魔などのことだろう、しかしもう一方には新たに科学的認識が大きな部分としてあり、これらもまた分類わけされ、気づかれることのなかったこの世の見えない、したがって不可視の何かは自然そのもので、私たち生体器官の五感がどう形成されたのかについてということになる。(*訳注* Mondo Invisibile モンド インヴィジービレ は ジュリアーノの会派へ向けたレターであったが のちに彼の後継者であるメルジェ氏によって書籍化された. )
科学者
この「(*訳注* 五感の)感じ」であなたは、正しくイデアを説明している、しかしこの精神に関するこれまでに得た全知識全経験は共通する普通の知識であり、見えないものとして提供される言わば死者や亡霊たちの魂の世界、今は亡き人たちが煉獄(れんごく)の火を通過して行く世界である。(*訳注* 煉獄:カトリックの教理で 小罪を犯した死者の霊魂が天国に入る前に火によって罪の浄化を受けるとされる場所. 及びその状態. 天国と地獄の間にあるという. 上記 ダンテ アリギエーリが「神曲 ディヴィナ コンメディア」中で描写. )
ジュリアーノ
論理的必然性から、私たちはここに到達しました。 私はすでにあなた方が新たに発見した光について触れました:それらにはエックス線や紫外線、赤外線などがある;しかしこれは電気そのものです、その多くが今日一般に流布しています、これが何かと言えば瞬時に光るフィラメント式の電灯、そこには自然の大切な性質があり私たちには見えない理解できない何か適切な機能が縦横無尽に張りめぐらされている、そのおかげで人のイデアや確かなある種の感覚について語らい合うことができている。 これは電磁波の波であり見えない;放射され広がり、この波の実体は伝播し続ける、これは受信する人に取り込まれてもそれ自体が現れてくることはない:これは波動であり見えない。 これは花の香りの様なものでもあり言わば気体、肉眼の器官では分からない ―― つまりこれらは滴虫類(*訳注* てきちゅうるい:ミドリムシやゾウリムシなどの水中の単細胞動物. マラリア病原虫もこれに含まれる. )や細菌、バクテリア同様、小さすぎて見えないのです。 これら人の五感は限定できるものではなく、同様人の理性も、一般的物事一般的生活の大雑把なことに共通する感覚であり、人類の全てには:つまり同一の受容能力が備わり、個人にとっても全く同様ですが、各人のメンタリティーとしては、これらを異なった霊的印象(着想概念)として受け取っているということ。
科学者
あなた方がどこに到達したのか分かって来ました。
ジュリアーノ
ですから私は、この言葉では理解できない部分全てを評価し直し理解すること、人類間のこのコミュニケーション能力を向上させることが必要だと信じている。 1880年私は会報誌(当時神秘主義や心理現象学などは単に日曜日の休日に楽しむだけの記述に過ぎなかった)に、人間の五感は虚偽的で不完全であるとの説を記したのですが、ある生理学の教授が、私に忠告して来ました、それは人間の五感やこの器官の能力をもっと正確に研究したらどうだというものでした、なぜならこれらの完全な機能無くしては物理的また化学的実験ができないからで、それでこそ人類が恩恵を受けるからだ、と。 この教授は大学の重鎮(じゅうちん)で、イタリアばかりかヨーロッパでも忘れられていた微細な物事への理性的な見方はしていなかったかもしれないが、全てを見通す目を持っているようでした! 私は彼の丁寧だがいらいらさせるトーンの指摘に返答することができず、その道理の世界によって私は行く手をはばまれました、とりわけ彼のその威厳がこの会報の編集過程に影響を与えていたからで私は冷ややかさを感じ、ただどうすることもできないでいました! もしもです、彼が今も亡くなっていなかったなら、私が知りたいのはこの五感に何が加われば完璧になり、実際の物理学や化学が進歩するのか、そしてこの力学の介在が五感を助け、見えない感じることのできない人の命の力の研究のためにも、また確認できるのは直接的ではない方法だけなのか、特別な結果を得るには何が五感に達して可能になるのか、要するに共通する不備が何なのかを知りたかった! それは魔術書では黒い光(ニグラ ルクス nigra lux)と称され知られてますが、一般的ではありません、思い出して下さい、これら全ては放射線や光で私が以前引き合いに出しましたね?
科学者
そのコズミックな放射線は、あなたが引用言及した、ミリガムが発見したのとは違うんですか?
(*訳注* ミリガム:原書では Milligam となっているがこれ以前のジュリアーノの発言でX線に言及していることから Milligam ミリガムではなくMillikan ミリカンの電子の持つ電荷を求めた実験のことだと思われる;実験にはX線が使われている. ミリカンは光のスペクトルに関する研究もしている. )
ジュリアーノ
ですからそれは、アストラル的な影響の(情感的に影響する)本質にも関係してると思うんです。 親愛なる博士よ、もし私が言うマルスの影響が君に、私にまた他の人たちに影響したと感じ、ひとりひとりにそれが及び動揺を与え大衆に抑えがたく影響していると思うのなら、君は笑うことはできないし、考えることや瞑想というものが行き交い響き渡っているに違いないだろう。 これは、わけも分からず信じる品位のない感覚であり、私が言うマルスが君をいらつかせた、品位を欠き不適切な姿として君と私の会話に現れた。 ある種侮辱的で自分の意図に逆行し、ずっと誤ったままで判断なく品位を欠き暗い感じで教養のないまま暗躍していたかもしれない、私たちは侮辱や無視にとらわれ、それによって印象をうぬぼれを感じ、自ら棺(ひつぎ)に片足を突っ込み、至高の神を夢見てまどろんでいる、つまりその本性(ほんしょう)は絶大な力なのです。 これらの多くは過去の身の程知らずの遺物と化した、あなた方はそれを分析し感じることで研究し理解して行くべきでしょう。 宗教的な教義規定を得たことで西洋人のキリスト教の意識には、太古の宗教的記憶(エジプト、カルデア、アッシリア、ギリシア、ローマ)の遺物が持続している、その伝統や魂に秘められた何かを求めて人々はその記憶を呼び覚ます、つまりそれが宗教的戒めである ―― 何が思い出されるかといえばおそらく人々をとらえた文書や魂に刻まれたもの、もしそれら聖人たちの祖先やいくばくかの異なる民族たちもがみな滅び去り救いがなかったとしたら、どれほどのものがこの我らのローマの様式へと変化しより具体的なものとなっただろうか。 私が自分の仕事で意味や価値としてのイタリアを評価するために、何かを主張するとしたら、それは迷信に対するもの、言いたいのは、しっかりと評価しふるい分けすること、迷信の不純な部分は少しずつ少しづつ何百年何世紀と時を経て世代を超え取り除かれて行かなければならない、ふるいにかけられ純化され、試験され、現代の知恵、その遺産の一部になることが必要です。 それがさらに進んでいくと、もっと新たな物事が垣間見え、さらに真実の一端へと行きあたる、そこは迷信の領域であったが、なおも私たちには理解できない領域でもある。
科学者
ですから私の反抗的態度はマルスのせいだとあなたは判断している:何もせずあなたは静かに見ている、今はそれを私に気づかせている、それゆえ私も穏やかで動揺もない。
ジュリアーノ
もどりましょう、ですから私たちのヘルメスへと。
科学者
あなたは私が狂ったように尋ねていると言ってましたね、人は死んだらどうなるのか、死者たちはどこにいるのか…、と
ジュリアーノ
正にそうです。 私の常軌を逸した考えが、テーブルの上にいっぱいの水を要求させ、あなたは共に友人同士として座り真っすぐ向き合い、ひとりの学者として協議しその説を表明された…
科学者
今宵マルスはラットゥーガの煎じ液を飲みました、そして私はあなた方の見解にまさに天文学的な平穏を見ているように思えます。
(*訳注* ラットゥーガ lattuga: チシャ 乳草. 切ると白い乳状の液体が出てくる. 媚薬効果や鎮静作用があると言われる. latt は乳のこと 乳草は乳状の白い液体を出す草木植物のことで多様な種類がある. )
ジュリアーノ
それは私の常軌を逸した発言、狂気のお題目:ヘルメスは言う、これらには死者たちの何かがあり、地中にうずもれた言わば火葬された蝶(ちょうちょ)の何か、限界を迎えたこれらの実体から発現してくるもの…
科学者
その言及されてる何かは、狂気だヘルメスさまだあなただと信じなけりゃならんのですか? すでに私は少なからず動揺してあなたを見てますが、お怒りのマルスさまにはご用心です!
ジュリアーノ
それを宣言したのは狂気のヘルメス自身、どの様に語っていたのか、それは人による、人の口を通してヘルメスは語っていた。 あなたにお願いします、ヘルメスがみんなと協議している内容に耳を傾けてください、何が一堂に会し聞き入っている人たちに及び強く印象づけたのかと。
科学者
あなたは、アプレイウスの変身物語を真似て、愛や魂について語りたいのですか?… (*訳注* アプレイウス:西暦 125 年ごろ. 彼はギリシャ語とラテン語で詩と散文で数多くの作品を作りましたがその著作の多くは失われている. 残ったものは変身物語といくつかの哲学的修辞学的な作品. :wikipedia ) 要するにあなたが以前からしようとしていた教えを、私は知りうかがい真理を感覚として習得したいのです、つまりもしその尋常でない物語に何かが放たれ詩や悲劇またひょうきん事となっているなら、研究している神々に皮肉つまり冗談は潜んでいないのか私には分からないので、自分の愚かさの歪んだ目で見てしまっているかもしれないからです。
ジュリアーノ
私は自分の評価をあなた方に押し付けるわけにはいきません、私があなたにした実際の話は、ですからあなた方が評価するのです…
科学者
これは科学への風刺でも私への非難でもなかったのですね? 私のことを迷惑だ疑ってるとお思いでしたら、すこしでもその意図を気づかせていただければと思います。 必要な事は私があなたにはっきり言うこと、その率直な私の発言が適切かそうでないかですが:あなた方を知る前のこと、私があなた方と話を交わすため許可を得ようと決心し訪問した時、私の大学教授の方はすぐに笑いながら言いました:行って尋ねてみたら ―― しかし思慮深くしなさい、それから君しっかり準備してね、と言いました


対話その9 完














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